鋸山から鏡峠へと下った。尾根通しの道なのだが、登りと異なり尾根が複雑である。一方、アップダウンが少なかった。大きな岩が点在し、それを巻くために踏み跡が尾根から離れる箇所もある。とはいえ踏み跡が明瞭なため、外せばすぐにわかる。
2025/06/23
御在所山からは分岐に戻り、縦走路を堂の峰へと向かう。軽く下ると鞍部に着く。福徳貴寺への案内板がある。峠を南に下る道を指しているのだが、踏み跡は落ち葉に埋もれているのか、ないに等しかった。・・・
2025/06/23
朝8時に篠山口に着ければ、神姫バス草山温泉行きに乗って栗柄に入れる。昨年11月に篠山の名峰、三岳を歩いた時に気づいた。今回はそのバスを使って鋸山を歩くことにした。・・・
2025/06/23
久しぶりに山を歩いた。5月上旬以降、高度差のある山を歩いていない。5月末のカイラス巡礼は標高が高かったものの、高度差は1000mもない。肺や心臓は鍛えられても、足の筋肉には疑問が残る。そこで、まずは試しと丹波の鋸山に行った。夏至の一日だった。・・・
2025/06/23
6/19、日経新聞1面の特集記事、「株主騒乱 総会リセット」の「第5回 杓子定規な議決権行使」にコメントが引用された。株主総会の形式的な議決権行使を減らすには、投資家が個別企業の分析に多くの時間を割ける環境が必要とだと述べた。・・・
2025/06/22
変わるものと変わらぬもの。これが今の京都の姿ではなかろうか。中学校時代の友人が京都に出てきたので、先斗町で飲んだ。その後、「蕎麦でも」と軽く食べられる店を探した。その経験譚である。・・・
2025/06/19
昨日、松本紘氏、元京都大学総長の逝去が報じられた。2003年に国立大学が独立行政法人化し、ほぼ四半世紀が経過した。その後の京都大学の総長は何人かいるが(思い出すのもかったるい)、その中で松本氏が飛び抜けて活躍したのではないだろうか。・・・
2025/06/18
2025/06/16
ラサは標高3700mの位置にあるとはいえ、気候は比較的温暖である。だから植物も特別の感はない。特徴を上げるとすれば柳が多いことだろう。2種類あるとのこと。その柳は初夏に柳絮(綿毛に包まれた種)を飛ばす。最初のチベット訪問時には最盛期だった。・・・
2025/06/15
2025/06/14
今回のチベット旅行で心配した1つが通信インフラである。メールを含めたグーグル系のアプリが使えない(中国当局によって強制的に遮断される)のはつとに有名だから。・・・
2025/06/14
今回のチベット、ラサからカイラスまでの道中の楽しみはヤルツァンポ川だった。中学か高校の時、地図帳を見ていてヒマラヤの北側に沿って長い川が描かれているのを知った。ヤルツァンポ川であり、ヒマラヤ東部を横断してベンガル湾に注いでいる。受験とは無関係だが。・・・
2025/06/13
チベットというか、ラサへは4回目の訪問だった。記録を見ると、1999年7月、2002年4月、07年9月、そして今回の25年6月である。毎回、ラサのポタラ宮殿と大昭寺(ジョカン)を訪れているものの、最初の印象が圧倒的に強い。・・・
2025/06/12
ストゥル・ブク・ゴンパの宿舎では疲れもあり、熟睡だった。部屋も食事もトイレもディラブク・ゴンパに似ていた。翌朝はタルチェンまで戻るだけである。10キロ程度の道程ながら、4キロ程度(実際は3キロ程度?)歩けばバスに乗ってタルチェンまで戻れるという。・・・
2025/06/11
ディラ・ブク・ゴンパの宿舎は高所に位置するだけに寝苦しかった。しかし何とか寝られた。夜中、トイレのついでに星空を見る予定だったが、宿舎からの光が予想外に多く、あまりよく見られなかった。・・・
2025/06/10
タルチェンに2泊した翌朝は、いよいよ巡礼への出発日である。まずは前日歩いたタルポチェまで公共バスで移動する。要するに昨日の足慣らしは巡礼路を完全に歩くための最初の一歩でもあった。・・・
2025/06/09
カイラス巡礼の拠点はタルチェン(巴嘎鎮)である。カイラス山の南麓に位置し、そこから直接流れ下る沢の扇状地に広がり、標高4650m前後ある。町にはホテル、食堂、商店が続いている。チベット仏教の巡礼者はテントや車を用い、町近郊に宿泊しているのだろうか。・・・
2025/06/08
カイラス山、もしくはカン・リンポチェはチベットの西南の奥に位置している。ネパールやインドに近い。標高は諸説あるものの6650m前後、広義のヒマラヤの山としては高くない。しかし独立した雪山であり、鈍角的?に尖っている。だから聖山として崇められてきた。・・・
2025/06/06