川北英隆のブログ

銀行預金の制限・続

銀行預金に制限が設けられた場合、個人のお金がどうなるのか、補足しておきたい。結論からすれば、国の機関としての郵便局の役割が明確になるという利点も生じる。
第一に、普通預金が制限されたとしても、大きな支障はない。制限される金額にもよるが、数百万円も普通預金に預けている人は限られている。多額の普通預金は証券投資のための予備資金の場合が多いだろう。また、制限を超えたとしても、その超えた金額に対して「保管料、金庫代」相当をマイナスの利息として支払えば預かってもらえる。
第二に、定期預金は国債で代替できる。銀行が長期から短期まで、個人の好みに応じた国債を取り揃えれば問題がない。しかも現在の国の債券・借入の合計は860兆円(2009年6月末現在)と、十二分にある。この国債を個人が銀行や郵便局の窓口で買うことになる。銀行や郵便局は一時的に国債を購入し(仕入れ)、それを個人に売ることになるだろう。定期預金証書の代わりに国債預入通帳のようなものを作成すれば、個人も国債の保有状況が分かる。国債からの利息は普通預金(郵便局の場合は通常貯金)口座に振り込まれる。
第三に国債の利率である。国債は銀行や郵便局の帳簿上で小口に分けるようにし、10万円程度から購入できるようにすればいい。国債の購入に際して個人はなにがしかの手数料を払わなければならないだろうが、定期預金に預けるよりも高い金利が得られるだろう。というのも、銀行等は単純な国債の管理に徹すればいいからだ。その代わり、国債を満期以前に換金すれば、値下がり損を個人が被るかもしれない。とはいえ、1年程度の国債であれば、大きな損失は発生しないし、国債の満期まで保有すれば元本が返済される。1年を超える国債の場合も、満期まで保有すれば国が潰れないかぎり元本が保証される。
以上に加え、郵便局の役割も明確になる。重要なことは、国の機関である郵便局が民間の銀行の真似をし、「貯金という別の名の国の負債、すなわち借金を仕立て上げ」、「その借金(借用証書)を国民に買ってもらい、お金を集めてきた」ことに何の意味があるのか理解不能だった。国が借金のために屋上屋を架してきたことになる。その郵便局が衣替えをし、国の機関として「国の借金である国債の販売機関」となれば、役割がシンプルになる。
実のところ、現時点での郵便局の役割は、個人が預けたお金の元本の保証だったのだろう。とはいえ、その元本保証のために多くの人員を抱えてきたのであり、大きな無駄をしてきたと考えられる。今後、個人に短い国債を売ったり、たとえ長期の国債であっても満期まで保有してもらったりすれば、個人に大きな元本割れは生じない。
さらに、途中の換金時にも元本を保証してほしいと思う個人がいるのなら、その個人に国債先物やオプションを売るという手段もある(国債先物やオプションの役割について、ここでは説明しない)。もちろん、証券市場での商品性の充実(長期から短期までの品揃え)が求められ、郵便局にはポジション管理のための多少の技術が求められる。個人は先物やオプションを購入するのに必要な代金を徴収され、そのような商品購入の損得を計算しなければならないが。
いずれにせよ、多少の技術的工夫が求められるにしても、不透明だった郵便局の役割が明確になる。国営の道を選んだ民主党の政策とも合致する。

2009/11/01


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