川北英隆のブログ

新川から豊海橋へ

昨日(1/9)の日経の夕刊に「御宿かわせみ」の舞台が紹介されていた。その昔、テレビでちらっと見た感じでは神田付近かなと思っていたが、実のところ舞台は永代橋のすぐ近く、日本橋川が隅田川に注ぎ込む直前に架かる豊海橋だそうだ。
昨日の夕刊を読んだのは夕食後で、テレビを見る前の数分間だったため、「御宿かわせみ」の記事を見逃していた。その記事を知ったのは、大学院のゼミ(ワークショップ)の学生(といっても社会人)に対して、論文用の分析にコメントしているときだった。その学生の実家が御宿かわせみの舞台の近くだと、メールに書いてあった。新聞にあるように、また御宿かわせみの舞台設定にあるように、昔は料亭や船宿などがあり、風情があったそうだ。そもそも永代橋(隅田川に架かる大きな橋で、大手町、日本橋と深川を結んでいる)は江戸時代に一度落ちたそうで、最初は豊海橋のすぐそばに架かっていたようだ。今よりも少し北にあったことになる。
新聞には書いてなかったが、現在の豊海橋の近くはビルが立ち並ぶだけでない。永代橋が架かる大通り(永代通り)から一筋入るため、ビルの裏口的雰囲気が漂っている。また、橋の横に公衆トイレもある。いよいよもって艶消しなわけだ。
では何故、豊海橋が舞台なのかと考えたところ、永代橋のある新川付近は日本橋に近い港町で、酒をはじめとする地方の物資が荷揚げされる江戸の表玄関として栄えたからだろう。今でも醸造メーカーの本社がいくつかある。最大のものはキリンビールである。また、新川大明神は酒の神様だ。文化の上でも、芸人が四谷怪談を演じるときに祟りを避けるために参ったという於岩稲荷(田宮神社)がある。当時、豊海橋が永代橋のすぐ近くにあったとすると、日本橋と深川を行き来する多くの人達が豊海橋の横を通ったわけで、要するに交通の要衝だったことになる。

2010/01/10


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