川北英隆のブログ

デフレの元凶は産業愚策

日本の物価が低下している。景気が後退する場合もそうだが、悪いことが起こると、すぐに日銀の金融政策が悪いからという論調が増える。本当だろうか。日本の場合は責任転嫁の典型だろう。
逆に、景気が良くなると政治が良かったということになる。2002年から7年にかけての景気拡大期にみられた論調である。最初にこの景気拡大の要因を確認しておくと、多くは輸出つまり海外需要の拡大によるものであり、政策が良かったからでは決してない。政策が多少の貢献をしたかもしれないが、2008年以降の景気後退とそれ以降の状況を考えると、この10年間、日本国内に大きな変化がなかったことに気づくだろう。要するに、海外需要の拡大と急減に日本経済は翻弄されてきただけである。
では、デフレはどうなのか。日本でしか製造できない製品が少なくなったことが大きな要因だろう。世界的な価格競争の波に飲み込まれたのである。これは欧米も多かれ少なかれ同じである。中国からアジア全体へと世界的な生産拠点が拡大している。そこで安い製品が大量に作れるようになった。
日本の企業は国内向けに「多機能商品」、「独自仕様とサービス」戦略を展開し、海外生産された安い製品を受け入れないようにしてきた。参入障壁である。むしろ、無駄な機能と仕様に高い価格を付け、国内で売ってきたのである。椎名誠のエッセーに「喋るハサミ」というのがあったが、ペンに時計を付けたりしていたものだ。
しかし、食品以外、そんな参入障壁は徐々に壊れてきている。だから、徐々に海外から安い製品が流入し、徐々に物価が低下する。1980年代の企業戦略の誤りがボディーブローとして効いている。その証拠が国際的な製品競争力の低下である。この点は『総合分析 株式の長期投資』に示しておいた。1980年代、日本の大企業は株式投資や不動産投資に熱を入れるべきではなかった。多国籍化し、競争力を高めておくチャンスだった。
もう1つの要因はサービス分野の生産性の低さだろう。
国内の産業政策もサービスの競争を制限してきた。競争を促進して生産性を高めようとはしなかった。ブログに何回も登場してもらっているが、ヤマトのような駄々っ子の登場がなければ、ペリカンも登場せず、トラック輸送分野は不便なままだっただろう。
これも先日登場した公的年金の加入期間確認通知書であるが、私学共済はすぐに返信されてきた。郵便での往信と複信の日数を考えると即答に近い。びっくりである。というのも、国家公務員共済や厚生年金は2週間かかるそうだから。「やればできるやん」ということである。親とも言うべき国の政策や業務が非効率的だから、子である民間サービス会社の生産性も低いままに留まっている。そう頷ける。これでは国際的な競争に徐々に蚕食されるのは目に見えている。日の丸を背負って飛んでいたツルの失速が象徴的だ。
デフレは金融政策のせいではない。金融政策に多少の責任があるとしても、そこに非難を集中させるのは、論者の無知である。本質は企業に戦略がなく、産業政策が無策かつ過保護だったからにすぎない。デフレはこの点を議論すべきである。

2010/08/18


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