川北英隆のブログ

グローバル化とは

グローバル化という題で何をイメージするだろうか。大学の講義を英語で行うことがグローバル化なのか。それとも・・・。
友人が言っていたが、さる外資系のパートナーを務め、起業して早期に上場を達成した若手の経営者は、「日本の大学では日本語で講義するのが最適だ」との意見だそうだ。講義を英語化したいという教員の出鼻をくじいたとか。そもそも、友人もアメリカ人女性と結婚した経験がある国際派だが、その経営者の意見を当然と評価していた。英語ができても、肝心の知識の広さ、発想力、構想力、論理展開力がなければ何の意味もない。
そのことを聞いた頃、こちらはアフリカから帰り、立て続けに講演会に出た。
一回は沖縄でのもので、那覇から台北、上海、香港への地理的距離の近さに強く印象づけられた。これからは、沖縄の時代が来るかもしれない。地理的条件は十分に満たしているし、かつて日本国となるに際して「一層のこと中国と一緒になればどうか」との議論もあった地域性も魅力的だ。ワンパターンで極めて大人しい(隣人や親には切れても政治に対しては切れない)本土の住民と異なり、沖縄にはまだまだ個性もある。
もう一回は株式の長期投資に関して。その席で予想に反して議論されたのは、株式投資に関する国際的な視点である。日本企業を日本からの視点だけで見てきたことが間違いの始まりだったのかもしれない。日本のトップ企業の国際的な位置づけはどうなのか、つまり日本企業と海外の同業他社と比べて投資の是非を決定することが、今後は必要不可欠である。日本の証券会社に必要なものも同じである。日本企業だけを評価の対象にしていたのでは、いよいよ市場はローカル化してしまう。
国際化とは、英語を喋って表面を飾ることではなく、視点を違えることだろう。それを実際に体験できるようにし、個性のある発想を促さなければ、日本は埋没してしまう。日本沈没ではなく、日本埋没という小説でも誰かが書けばいい。

2010/09/16


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