川北英隆のブログ

過剰が裏目に出た大津波

今回の大震災をテレビが一斉に報じている。それを見ていて思うのは、「過剰」である。どのチャンネルでも同じことをやっているのは、まあ仕方ないかとも思うが、それ以上の大問題がある。
これは前から思っていたことだが、小さな地震もすぐに「市町村と震度」がセットで字幕に出され、速報となる。「何か大事件」とひやっとするが、ほとんどが大したことない。そういう小さなことは最大限、「最高、◯◯で震度△、津波の心配なし」でいいのではないか。ましてや、震度1とか2とかの地震は報じないのがいい。いちいち細かく報道するから、「また地震の速報か、うるさい」となってしまう。
気象庁の警報、注意報も昔に比べると基準が甘いというか、すぐに警報になる。「誰かが怪我をし、死亡された分には、責任がなすりつけられ、かなわない」との防衛本能が働くのだろう。しかし、やたら警報が出されるものだから、「また警報か、いつものことや」とたかをくくってしまう。今日の警報は、いわゆる狼少年となってしまっているわけだ。
今回の地震の事実を追うと、地震が起きたのは14.46、気象庁から警報が出たのが14.49である。気象庁の反応は素早い。もっとも、まだ小規模な地震だと推定されたのだろう、津波の規模はびっくりする程大きくない。もちろん、推定規模が小さすぎたと主張してはいない。むしろ即時に判断できたのは「さすが」と言える。
問題は、津波の到達推定時刻と、それへの一般市民の対応である。釜石など、津波が一番早く到達する地点でも、到達推定時刻15.10となっている。発表されてから20分程度の余裕がある。実際、今日の民放の放送では、「警報から25分くらいの余裕があった」と被災者が話していた。この程度余裕があるのなら、さっと用意すれば余程の年寄りでない限り、身の安全は確保できただろう。現実がこれと大いに異なっていたのは、「いつもの警報だ、まあ海岸から少し離れているからいいのでは」との油断があったというか、いつも小さなことを大きく報じるから、油断を生じさせたのではないだろうか。
過剰な放送は役に立たない。それどころか、大いに問題である。過剰な放送は、ひょっとすれば小さく役に立つかもしれないが、いずれ大損失をもたらしかねない。気象庁や放送局は大いに反省すべきである。

2011/03/13


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