川北英隆のブログ

聖者シャルル・ド・フーコー

アルジェリアはアセクレム高原を訪れて以来、気になっていたフランス人宣教師シャルル・ド・フーコーに関する著書を入手し、読んでみた。アセクレム高原での生活を多少イメージできた。
フーコーの日本語文献は1/12に書いた『シャルル・ド・フーコー』(聖母の騎士社、1998)しかないようだ。英語やフランス語の文献はいろいろある。しかし『シャルル・ド・フーコー』の原著(Jean-François Six神父の書いたItinéraire Spirituel de Charles de Foucauld)はアマゾンで見つからなかった。日本語訳では年表とか原注とかが省略されているらしいので、入手したかったのだが。英語版があるようだが、年表や原注の状態は不明。
フーコー(1858-1916)は貴族の生まれだが、孤児として育ち、軍に入った後に、モロッコを西洋人として初めて探検した(フーコー自身の著書があり、地理的成果として認められている)。その後、イエスの生活を模倣したいとの一念で宗教に入り、トラピスト修道院で修行をしたが満足せず、隠修士としてアルジェリアのベニ・アベス(モロッコとの国境近くのオアシスの町)とタマンラセットで布教活動(説教ではなく一緒に生活して信頼を得る活動)を行ったようだ。タマンラセットでは現在の市内とアセクレム高原に修業の場を設けていたと推測する。
食料などの生活用品の調達方法は記されていないが、フランス軍の指揮官と親交があったので、その援助もあったのだろう。また遊牧民に施しをしていたようなので、それと交換で得ていたものもあると考えられる。『シャルル・ド・フーコー』は宗教的側面を描いているので、生活のことは垣間見る程度にしか分からない。だから、年表とか原注が欲しいのだが。
フーコーはタマンラセットで地元民によって殺された。第一次世界大戦の余波のようだ。ドイツとフランスとの戦争の影響があるのかもしれない。
現在、フーコーの精神を受け継いだ「イエスの小さい兄弟/姉妹会」があるという。2001年にヨハネ・パウロ2世によって尊者とされ、2005年にベネディクト16世によって列福された。墓は、当初はタマンラセットにあったが、現在はタマンラセットとベニ・アベスの中間付近、エル・ゴレアいう要塞の町にある。なお、パリはモンマルトルの丘の「聖心の大聖堂」にフーコーを描いたステンドグラスがあると書かれている。
ついでに、ベニ・アベスにあるフーコーの修道院「ラ・フラテルニテ」やエル・ゴレアにあるフーコーの墓などを含めて、アルジェリアの南西部を巡るツアーが道祖神から提供されている。なかなか面白そうだ。治安は確認していない。

2011/08/13


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