川北英隆のブログ

神話の弊害

近々、会津にある知り合いの実家に泊まりに行くことにしている。旅館をしているのだが、観光客がめっきり減ったというので、景気付けのためである。6人だったかで訪問し、会津料理を楽しむ。
そのついでに思うのが、原発の事故さえなければ東北の復興はもっと簡単だったということと、では何故、原発の事故が起きたのかということだ。
それは誰も本当の意味で原発と向き合ってこなかったからだろう。日本が、原爆の投下、福島原発の事故の2回も大きな核被害を受けたのは偶然ではない。原爆の投下が下地となり、福島原発の事故が積み重なったと考えればどうだろうか。
原爆が核に対する極端な国民の忌避感情を生み出した一方、経済発展にともない電力エネルギー確保のためには原子力発電所の建設が不可欠となった。国民の忌避感情と原子力発電所の建設を両立させるには、「建設する原発は絶対安心」と訴えなければならない。絶対安心だから、建設後も「絶対安心」を証明しなければならない。そのため、一度建設したものの安全対策を大きく見直すことは「許されなかった」のだろう。一言で表現すれば、神話を作る必要があった。
新しくできた原発と過去の原発とでは安全対策が異なっていた。初期のものは非常時の冷却装置が原子炉の入った建屋の外にあったが、新しいものは一緒にあるという。原子炉の建屋は堅固なので、今回、もしも非常時の冷却装置が一緒に収められていたのなら、被害が大きくならなった可能性が高い。そもそも、新しい原発の設計は安全性を高めるためのものである。それを過去のものに遡及して適用しなかったのはミスであるが、そのミスの背景には、神話を否定したくないとの思いがあったのではないか。
人間の世界に神話はない。過去の行動に関する認識はどこかで改められる。そんな中で神話を作り出せば、いつか神話が崩壊したとき、非常に大きな影響をもたらす。神話に依存した虚構が大規模化しているからだ。1980年代の土地神話、株価神話の反動が現在も続いていることを思い出せば十分だろう。

2011/09/04


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