川北英隆のブログ

同床異夢のヨーロッパ

ヨーロッパの危機が止まらない。前にも書いたが、ユーロに属した各国の社会の文化があまりにも異なる。それを1つにまとめ、新たな発展を目指したことに間違いがあったのだろう。
国際会計基準の議論を直接的にしないといけない立場にあった2年間に思ったのは、ヨーロッパの極端な理想主義である。貴族社会のヨーロッパとしては仕方なかったのかもしれないし、そういう発想に陥るのが常なのかもしれない。つまり、現実から乖離した数歩先の「望ましい姿」を追求する姿勢である。その理想像は美しいし、理想が実現した場合には強大な力を得るだろうが、現実の泥臭さを超越している分だけ、危うさも秘めている。
ユーロという統一通貨の体制は、よく知られているように、為替変動という調整弁を放棄することを意味する。ユーロを用いる社会が均一であればいいのだが、何回か書いたように均一の状態からほど遠い。そうすると、どうしても、どこかで矛盾が生じる。その矛盾を解消する手段は、ユーロを採用している各国への「訓令」と金融的手段しかない。訓令はともかく、金融的手段には、日本の2000年前後を事例に揚げるまでもなく、限界がある。
ヨーロッパの感覚はアジア人として理解できない。長らく内部で戦争を繰り返してきた負い目と、古代には統一されていたように見える状態への憧れが、「ユーロ」という通貨を生み、落ちこぼれが出ても離脱は許さない、離脱を何としてでも防ごうとの夢を見させたのだろうか。
大国であるイタリアやフランスまでも危機に向かいつつある現在、ギリシャを切り離すチャンスは失われたのかもしれない。しかし、これから先、いかなる手段があるのか。潤ってきたドイツの自己犠牲以外に残されていないように思うし、ドイツが犠牲になるのなら、現時点では何とかなりそうにも思える。ヨーロッパの企業の力が弱り切ったわけではないのだから。
ユーロという地域全体の為替を実質的に大幅に切り下げることで、生き残る力は得られるだろう。ユーロ以外の国は、この最後手段が引き起こすかもしれない混乱に備えなければならない。

2011/11/17


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