川北英隆のブログ

小物が支える神話

今年は神話が崩壊した年であった。チュニジアでの革命が発端となり、カダフィ大佐率いる「リビア王国」が崩壊した。原子力発電が築きあげてきた神話も崩壊した。
カダフィ大佐が自ら築いた王国の将来をどのように思っていたのか、その本音を聞きたかった。楽観視し、永遠に続くと思っていたのか。それともどこかで改革すべきだと思っていたのか。昨年の今頃、アルジェリアを旅行していて聞いたところでは、当時のリビアは旅行者にとってすばらしい国だったそうだ。近いうちに機会を見つけ、行きたいと思ったし、タッシリ・ナジェールからリビア側を見渡したところ、平和そうな山と大地が広がっていた。しかし、王国の内部には不満が鬱積していたのだろう。その不満に気づかなかったとしたら、カダフィ大佐は巨万の富に溺れて事態を直視できていなかったのか、手下の甘言を信じていたのだろう。
原子力発電の神話は日本経済に対する神話と通じるものがある。「こんなはずではない」と現実から目を逸らし、一部の明るい事象しか見ようとしない。原子力発電について「事故なんか起こりえない」と、新しい知見に目を逸らし、過去の設計の完璧性を盲信してきた結末が3月11日だった。日本経済もまた、株価で見るかぎり30年前に後退している。その原因は円高でも何でもない。経営スタイルが陳腐化したからに他ならない。
大物とは何か。それは現実を直視し、その現実に立ち向かう者だろう。もちろん気力だけでは不十分で、細心の戦略が必要となる。しかし、その細心の戦略は現実の直視から生まれる。現実を直視するには、高い教養によって育まれる客観性と、自らの積極的な行動とが求められる。一人で完結しない場合も多いだろうから、信頼に足る(窮地に陥っても支えてくれる)相棒が必要になるかもしれない。
このような現実を直視できる経営者が日本から絶滅しようとしているのだろう。株価はそれに対する警告である。「経営は正しいが、世の中が悪い」は神話である。上司ばかりに気を遣うサラリーマンから成り上がった経営者が大手を振るのでは、日本は完全な小物社会に転落してしまう。

2011/12/30


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