川北英隆のブログ

京都と奈良の仲

奈良県に生まれ京都に住んでいる者として、奈良にとっての京都とはどういう存在なのかが気になる。寺社関係の取材をしている高校時代の同級生に質問したところ、「そら仲がええわけない」とのこと。
質問する側としても、そういう答えを期待していたから、驚きはなかった。でも、何故、仲が良くないのか。そもそも、仲が良くないというのは本当なのか。
葬式の関係で親戚と何回か顔を合わせた。橿原に住んでいるインテリの叔父さんがいるので話をしていると、「住んでいる近くからいろいろ遺跡が出てくる」という話になった。橿原だから飛鳥時代であり、平城京以前の遺跡である。「京都も工事をすると遺跡が出てくるので、工事が進まない」と言うと、あまりとり合ってくれない。鼻で笑われた気がしたので、「時代が若いけど」と言い訳すると、「そらそうや」と返事がきた。
この反応が奈良から見た京都を代表しているだろう。今でこそ奈良は田舎だが、平城京の時代には京都市内の影はなかっただろう。奈良は先進地域であり、京都はずっと遅れていた。それが、時代が進み、逆転しただけである。平城京の歴史の方が圧倒的に長い。要するに大先輩だ。だから、京都が威張るなんて許されないのか、大したことないのだろう。
子供の頃、母親の実家に帰ると母親の兄弟/姉妹同士の世間話になり、「昔、畑仕事をしていると、鍬にカチンと当たるものがあるので掘ってみたら、銅鐸が出てきた」、「田んぼから廃寺になった屋根瓦がたくさん出てきたもんや」と叔母さんや叔父さんが喋っていた。奈良とはそんな土地柄である。
以前にユーロ危機に関し、ギリシャとドイツもしくはフランスとの関係を書いた。奈良はいわばギリシャである。京都はさしずめフランスだろうか。

2012/02/10


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