川北英隆のブログ

生き過ぎの社会と停滞

土曜日、カレーを食べながら日経の夕刊を読んだ。毎週、この最終面には作家にちなんだ景色が登場する。今回は宮澤賢治だった。
中学に入って最初に読んだのが「風の又三郎」、その時の風の音が今も耳に残っている。これまで気にもしなかったのがその没年である。新聞の記載から計算すると37歳で亡くなっている。
そこで、中学から大学にかけてよく読んだ作家の没年を調べると、カフカが41歳、プルーストが51歳である。先日亡くなった高校の同級生はカフカやプルーストを追い求め、フランス文学の世界に入っていった。
いずれも今の僕よりも若い年齢で亡くなっている。戦前までは50歳が平均的な寿命と考えてよかったのだろう。ちなみに、先日旅行したカメルーンは50歳である。
80歳まで生きる現在と、50歳で終わる過去と、どちらが良かったのか考えざるをえない。50歳で終わりと考えるのなら、大学を卒業すると半分近くが過ぎたことになる。個人差があるだろうから、40歳で終わることも覚悟しなければならない。そうだとすれば、大学時代から必死にならないと、大したことができない。30歳になってようやく一人前扱いされるなんて耐えられないだろう。考えてみれば、僕が盲腸になったのは34歳の時だったと思う。昔ならそこで終わっていた。
80歳まで生きるから、若い時にいい加減な生活でも十分だと思えるし、「老後も生きる」ため、保守的にならざるをえない。社会から活力が消え、老人性の停滞に陥る。
それよりも、20歳代からやりたいことをやり、それが成功しなかったとしても50歳でゼロに戻ると考えれば気楽なように思う。「80歳まであるからやり直しがきく」と言われても、やり直して成功した人間は少ないし、若い時にそれなりの成果を得ていただろうし。

2012/03/04


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