川北英隆のブログ

ヒステリックな日本社会

ヒステリックにアナウンスするスッチー(キャビンアテンダントなんて優雅なもんでない)オバちゃんに遭遇すると、日本社会全体も表面的にそれに近づいているのではと思える。
7/30に登場した中国出身の教員L氏の評価では、日本人は100点主義という病気に陥っているとのこと。僕もそう思う。2012年4/1のブログに、「100点を取る必要は全くないし、不可能だし、それを目指すこと自体が無駄」と書いた。しかし、世の中の動きは逆のようだ。ミスと、ミスに対する社会の指弾を恐れ、100点を目指そうとしている。むしろ、100点を目指しているとのアリバイ作りかもしれない。
その典型例が昨日のスッチーだし(以前、同じ航空会社だったと思うが、香港からの帰りの便で同様の煩さを経験したので、会社としての方針かもしれないし)、電車の車掌のこと細かな指示である。子供じゃあるまいし、一回言えばこと足りるだろう。そもそも、自分で考えさせないといけない。忘れ物や事故が生じれば、大人の場合、思慮の足りない者の責任である。思慮がなければ世の中で生きていけない。
もう1つの例がコンビニで酒類を買った時の年齢確認である。どのコンビニも客の顔を見ず、20才以上かどうか確認させる。少し前は「若く見えるのかな」と思わなくもなかったが、今はすっかり慣れてしまい、「どうせ質問のための質問」と、反射的に「はい」の表示をタッチしている。20才前後の客の場合、どうするのかと思う。多分、20才以上かどうかの質問に対して「はい」をタッチすれば即座に売るのだろう。そうなると、タッチさせてもさせなくても「一緒やん」と思う。単に機械を導入し、店側のアリバイを作っているにすぎない。昔のように、親の代わりにタバコや酒を買いに行くことはできなくなったが(サザエさんにもそういう場面がなくなった)。形式ばった世の中である。
安倍ちゃんが消費税率引き上げの是非を検討するという。これも「慎重に検討した」というアリバイ作りだろう。有識者の意見を聞くというが、誰を有識者として選ぶかの決定権を含め、賛成が多数を占めるに決まっている。責任を、その有識者なる者と安倍ちゃんで分かち合うのだろう。
本当に100点を目指し、努力し、例えばスイスの時計のような工芸品的なものを作るのならともかく、単なるアリバイ作りなら、無駄な努力が必要な分だけ、80点を目指すより実際に得られる点数は70点とか、60点とか、低いに決っている。変な社会としか思えない。

2013/08/11


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