川北英隆のブログ

奈良盆地の東山・国見山に着く

城山に登った目的はもう1つあった。城山を越えて国見山に到達したいと思っていた。実は高校時代、昨日書いた高樋から城山の麓を経て国見山に登り、山伝いに桜井付近まで歩こうとした。
記録を見ると1968年11月、高校3年の時だった。これは初めての単独登山(というか山歩き)でもあった。高校時代、友達を誘って山歩きをいろいろ計画し、それなりに予定通り歩けたので、「では一人で」ということだったと思う。
帯解近くの親戚の家まで自転車で行き、そこから徒歩だった。椿尾橋の700メートル程先で城山の北側を流れる沢が分かれている。何沢かは知らないが、とりあえず城山沢とでも呼んでおこうか。
実は、菩提山川は小学校から高校時代にかけての遊び場所だったのでかなり詳しい。小学校からの友達M君と自転車で川遊びによく行った。城山沢を少し遡った所に白雲母(もしくは石英か)の鉱山跡を見つけたこともある。
その城山沢を源流付近まで遡ると国見山の西麓に着く。そう地形図では読める。しかし、実際は城山沢を遡り、適当に国見山を目指して東に登ると、車道に出てしまい、高原の盆地となった。要するに国見山登山は失敗したわけだ。後は、大和高原(奈良盆地の東山)を南に下り、桜井の北側にある竜王山(585メートル)の頂上を踏み、長柄の駅から桜井線で帯解に戻り、自転車で実家に帰った。帯解駅で日が暮れたと記憶している。今回はそのリベンジの意味も含まれている。どこで道を間違ったのか判明するかも。
とはいえ、当時に採用したコースとは異なる。地形図を見るとすぐに分かるが、城山から国見山を直接結ぶ道はない。また、当時は皆無だった国見山の情報も今日はネットで得られる。調べたところ、矢田原から南下し、国見山に登り、東の尾根を白砂川上流部へとたどるルートが歩かれているとのこと(地形図通りである)。
そこで昨日は、まず城山を下山し、最後の分岐に戻り、そこから北に下り城山沢に出ることにした。200メートル程度、城山沢を下り、地形図にある山越えの道を北東へとたどると矢田原の北側に出られる。そこから国見山は近い。
しかし、分岐から沢に下る道は下りになると消滅した。ほとんど歩かれなくなったのだろう。「でも下れるか」と地形図と実際の下り斜面の状況を見比べ(というのも崖があれば万事休す)、意を決し沢まで下った。高度差は150メートル程度である。
沢に出ると、本来は比較的広い作業道があるはずなのに、荒れ果てている。沢を下ろうとしたが、藪が酷い。沢に下ったことを少し後悔したが、仕方ないので藪の少ない上流部へと歩き、適当に北側の尾根に取り付いた。尾根に出ると薄いながらも踏み跡がある。それをたどり、ようやく矢田原の北側の車道に出ることができた。途中から、予定していた山越えの道と一緒になったようだ。
車道を500メートル程度北へ歩くと、東への道を分岐する。この分岐は地形図にある神社(春日宮神社)に通じる。分岐を東に向かって1歩歩くと、右手にもう1つ分岐があり、国見山と書かれた標識がある。茶畑の作業道を兼ねた比較的広い道である。後はこの道をたどればいい。小さな峠があり、分岐するが、広い方の道(左側)をたどると、道は自然と東を向くようになる。次の小さなピークでの分岐は右手をたどる。すぐに頂上直下となり、ここで広い道が終わる。数分で頂上である。車道から分かれて30分の登り、城山の登山口である椿尾橋から2時間40分だった。
頂上付近はクヌギやミズナラの美しい林が点在している。頂上にはベンチがある。展望はというと、木の間から矢田原と奈良盆地が望める。

2014/05/11


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