川北英隆のブログ

またまたクロネコを応援する

ヤマト運輸がこの3月末でメール便を廃止し、「クロネコDM便」などとして出直すと報じられた。背景には「クロネコは信書を扱えない」「信書を扱えるのは郵便だけ」との不思議な制度がある。
信書の定義は総務省のホームページにある。総務省が郵政を取り仕切っている。
http://www.soumu.go.jp/yusei/shinsho_guide.html
要するに、差出人が、特定された受取人に対して、意思を表示するか事実を通知する文書(紙かその同等物に書かれた物)である。電磁的記録物は信書に該当しないともある。
郵便法と信書便法で規定されているらしい(読んだことはないが)。郵便以外で信書を送ると法律違反となり、処罰の対象となるという怖い制度である。信書は大切なもの、秘密情報も含んでいるので、信頼のある政府機関しか取り扱えないという趣旨であろう。
しかし、である。まず、電磁的記録物を信書としていないのが変である。電磁的記録物は個人情報、企業情報の塊となりうる。そもそも信書ではないとされているのは、コンピュータの磁気テープを郵便が扱ってこなかったからではないかと推察する。
また、通信情報も同じである。添付ファイルで(手紙をイメージファイル化し)、インターネットで送れば、信書と同等のものが送れる。そもそも通信も郵便の対象外、電電公社の領域だったからだろう。
さらに言えば、郵便(日本郵政グループ)が株式を公開する。政府が何割か株式を持つのだろうが、株式を公開することは一般企業に変身することを意味する。「一般企業は信頼でけん」のではないのか。そんな一般企業に信書を扱わせて大丈夫なのか。
そもそも信書とは古い概念である。古い縄張りを守るために信書を法律で定義し、郵便の独占にさせる。信書なんて、一般人がイメージできない陳腐な制度をひねり出し、自分たちの縄張りを守るために法律に書くのが日本の古い役人の本来の能力なのかとも疑う。
これで思い出すのは、携帯電話におけるドコモの凋落である。古い体質のままの郵政保護を続ければ、電電公社グループの二の舞になるのではないか。クロネコが、郵送物におけるソフトバンクとなるようにと応援したいものだ。
追記:これを書いた数日後、飲み会で話していると、相手からクロネコへの新たな規制に関して、郵便擁護に対する批判が生じた。クロネコはコンビニで24時間受け付けてくれるが、郵便局はすぐに閉まると。多分、偉い役人は秘書に「これ入れといて」というだけなのだろう。だから世間を知らない。これはクロネコ問題だけでなく、すべての公的業務、民間事業に言えることだが。

2015/01/24


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