川北英隆のブログ

為替の予想に購買力平価は無力

ドル円レートの予想は個人投資家にとって最大の難問である。1995年までの一方的円高の歴史は、個人にとっての苦難を象徴している。今後の投資に対して、何を信じればいいのか。
円高の方向性を示す代表的な、というか唯一に近い指標として登場するのが、購買力平価である。購買力平価って何か。詳しい説明はともかく、よく使われるのが「相対的購買力平価」である。
購買力平価の基本的な発想は、バナナやマクドやコーラの値段を比較すれば、円とドルの換算比率が(つまり為替レートが)わかるというものである。ごく常識的な考え方だろう。とはいえ、日本人とアメリカ人の趣味が異なる。質も異なる。日本人はキツネウドン(関東はザルソバかな)を好んで食べるが、アメリカにはそんなものはないに等しい。散髪や介護のようなサービスをどう比較するのかというような問題もある。こう考えると単純な商品ごとの価格の比較って実は難しい。
そこで、貿易収支がほぼ均衡していた時点(輸出もしくは輸入の超過があまりない時点)で国内と海外の価格が全体として均衡していた(高安がない)とみなし、その時点の為替レートが国内と海外の為替レートとしてほぼ妥当な水準だったと仮定したうえで、それ以降の物価の変動だけを織り込んで「妥当な為替レート水準」を計算しようという発想が生まれた。これが、相対的購買力平価である。
この相対的購買力平価をドルと円に関して計算すると、実に綺麗なグラフが描ける。「綺麗」と言う意味は、円ドルレートが相対的購買力平価のレンジの中に入っている。嘘だと思うのなら、国際通貨研究所のサイトにはドルと円に関する相対的購買力平価のグラフがあるから、それを見るのがいい。この綺麗さのおかげで、日本には相対的購買力平価の信者が非常に多い。6月だったか、日経の経済教室にも相対的購買力平価に基づく為替レートのご宣託が掲載されていた。
しかし、である。同じ国際通貨研究所のサイドにはドル・ユーロ、円・ユーロの相対的購買力平価の推移も掲載されている。こちらは綺麗ではないどころか、素人には「何のこっちゃ」としか思えない。
相対的購買力平価の神通力に期待できないのには理由がある。たとえば円・ドルの相対的購買力平価の基準点(貿易収支の均衡時点)は1973年である。そんな40年前のことを言われても信じられないのではないか。そもそも貿易構造が今と相当異なっている。似ても似つかない時点を基準に妥当な為替レートの水準が語られたとしても、チンプンカンプンである。同じことだが、日本の輸出商品の競争力も月とスッポンである。テレビが輸出商品であった時代が懐かしいものの、今の大学生に「懐かしいな」と言ったところで、「何を訳のわからんことを、アホかいな」と思われるだけだろう。
以上、相対的購買力平価には力がありそうで、実は無力という話だった。

2015/07/29


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