川北英隆のブログ

京都にフランス領事館があって

京都にフランスの領事館(正式には総領事館)があるのを知っているだろうか。「何でやねん」というところだが、あるから仕方ない。場所は、京都大学の向いというか、隣りというか。
学生時代、かつてブログに登場した故田中義廣君がフランス語を学びに通っていたはずだ。要は日本との文化交流のために領事館を設置したのだろう。京都がフランスにとって文化的に重要だったということである。その証拠に、ビザなどの手続きは領事館で取り扱っていない。
その領事館、今日、僕として東京に行く前の早朝、大学で来客を迎えないといけなかったので、近く通った。と、パトカーが1台待機し、警官が門の外に立っていた。いつも、学生や(あまり行かないか)教員が気軽に昼食を食べに訪れるのに、今日ばかりは門が閉じられていた。言わずともわかるように、バリでの多発テロの影響である。
イスラム教は宗教として一番進んでいると、学生時代に宗教を少しかじった友人が評価していた。一番遅く登場した宗教だから、同根の一神教であるユダヤ教やキリスト教をベースに教義を組み立てたからだとか。しかし、イスラム教ができたのは紀元(なんていう年数の数え方をしたらアラーの神に怒られそうだが)610年頃という。1400年前である。
当時、最先端の思想だったとして、今はどうなのだろう。毎日定期的に神を拝むとか、ラマダンだとか、経済的な活動とは相容れない。もちろん、経済的活動は神の世界と親和性があまり良くないのだが。
イスラム世界が欧米や日中から見て異質なのは、資本主義とイスラム的世界との差異が基底としてある。資本主義と社会主義の差は、経済的な果実の分配に関する差異だったから、まだ議論の余地があったし、決着も付きやすかった。しかし、資本主義とイスラム的世界の差異は、思想的な差異である。これはどこまでいっても決着がつかない。多分、僕が死ぬまでに決着するのは無理だと思うのだが。今生まれた世代だって、死ぬまでに決着しているのかどうか怪しいのだから。

2015/11/16


トップへ戻る