川北英隆のブログ

人生最後の入試試験監督を終え

昨日と今日、大学の入学試験だった。普通なら、昨日から試験監督に駆り出されても当然なところ、今年は、僕が退職直前なため、今日だけで済んだ。毎年、風が吹くままに変わるので、来年はどうなるか不明である。
この入学試験監督でもって、やっかいな仕事から一生涯解放された。少し寂しいようではあるものの、やはり厄払いと思えてならない。大学の本部がアホなので、京都の入学試験は、私学との比較で無駄きわまりない運営になっている。これについて、いずれ退職したら大いに書きたいものだと思う。
そんな試験監督を終え、鴨川を歩いて帰ると、はるか昔、自分自身の入学試験のことを思い出した。1969年が最初だから、47年前である。聖護院に泊まって試験を受けた。東大に入試が急遽中止になった年だった。「まあ、この程度で受かるやろ」方式の、適当主義になりつつあった僕にとって、間際になって厳しい入試になってしまった。加えて、差をつけるはずだった数学が易しすぎた。合格者近辺の受験生はほぼ満点だったと思う。
その経験が良かったのか悪かったのか。人生は経路依存だから、結論は何もない。その年、東大の入試があり、大学にすんなり入っているとエリートになっていたかもしれないし(あり得ないし、柄でもないか)、どこかで挫折したかもしれない。翌年、1970年も入学試験のため、やはり聖護院近くの、しかし安旅館に泊まったと記憶している。その年、無事に大学に入り、今の生活がある。これをどう評価するのか。
というようなことを思いながら鴨川を歩いて帰ったのは、今日、受験生の真剣な表情を見てしまったからだろう。入試が大きな岐路であるのは確かである。とはいえ、岐路をどちらに進もうとも、送るに足る人生が待っている。これは僕の経験である。入試に受かっても、受からなくても、自分にふさわしい道を探すことが先決だろう。

2016/02/26


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