川北英隆のブログ

政治家は李下に冠を正さず

「李下に冠を正さず」という言葉がある。「疑われるようなことはしない、しないのが望ましい」という言葉である。そんなの、きちんとした教育を受けているのなら誰でも知っている。当然、政治家なら、政府の高官なら、知っていて当たり前だろう。
しかし、現実はと言えば、「ええっ、知らないの」というのが正直な感想である。国会で追及されている小学校の事件で思うのは、安倍夫妻まで知らないような、知っていたとしても無視しているような。
実のところ、大学の教員も、この点はいい加減だったようだ。しかし、いろんな不正行為が明るみに出て、教員が罰せられた。そこから派生して、今ではいい加減な行為が厳しく律せられてようとしている。
思うに、その大学教員が罰せられた行為と比べて、政治家の行動が「罰するに値しないほど軽微」と言えるのかどうかである。もちろん、言えないのではと思っている。立証できないかもしれない。政治家の場合、大学の教員との比較において、目に見えない状況を含めて特権がある。この差が大きい。
日本の社会的制度において、ルールが社会や個人の行動を相当厳格に制約するようになってきた。方向性は正しい。とはいえ現状は、表面的なルールが重んじられ、表面的にルールを守っているのかどうかにだけ、注目が集まっている。現実には大きな抜け道があるのではないか。
1つは税制の抜け道である。小さな事業になればなるほど、その事業がもたらす利益の把握がいい加減である。実際、税務当局の監視なんて大雑把だとの「常識」に基づき、確定申告を含む税務申告が行われているように思う。少なくとも、サラリーマンの源泉徴収制度(それによる税務上の利益の把握率がほぼ100%であること)とは雲泥の差がある。
もう1つは、超法規的な意識でルールを逸脱する事例が過去から現在に至るまで、続出している事実である。厳格なルールを定め、取り仕切るのが行政であるにも関わらず、行政の身内、とりわけ政治家である大臣にはルールの適用が甘いから逸脱が目立つ。
何やかんや述べたが、「李下に冠を正さず」をしっかりと意識して、行政を行ってもらいたいものだ。

2017/03/01


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