川北英隆のブログ

彦根の佐和山と弁天山-1

霊仙山を下りた時間が早かった。12時過ぎ、養鱒場を出る米原駅行きのバスにも乗れた。そこで、もう1つ、新幹線からいつも見えて気になっている山を歩くことにした。彦根の裏山、佐和山である。地図をよく見ると、北に弁天山というのも付いている。
佐和山は石田三成の居城だった。関ヶ原の戦いの後、井伊家によって近くに彦根城が造られ、佐和山は廃城となった。徹底的に壊されたということで、ほとんど何も残っていない。新幹線はその佐和山の東側を走る。竹藪とゴルフ場があり、佐和山城趾の看板がある。
持っている古いガイドに従い、彦根駅の西側(メイン側)から出る。北に進んで東海道線の線路を東側へ、陸橋を使って渡る。
駅の東口で降りると陸橋を渡らなくて済みそうだった。そこで帰りに試みようとしたところ、道がごちゃごちゃしていた。なので、諦めた。帰ってからグーグルマップで調べても、佐和山を訪ねるには、西口も東口も、どっちもどっちいうところか。どの古い町でもそうだと思うが、国鉄の駅は場末、町外れに設けられたので、駅前が雑然としているようだ。
陸橋を渡った後、東海道線に沿って北に歩く。今にも行き止まりになりそうな道ながら、「犬糞を始末せえや」との張り紙が何箇所かにあるので、「行き止まりではないようやし、犬になった気分で歩くしかないかな」と思った。公園の横を通り、井伊家の菩提寺とかの龍潭寺の横も過ぎる。この付近、かつては琵琶湖の飛び地(飛び池)というか湿地だったらしいので、龍の潭(淵)なのかも。
犬になったり龍になったりして、道は山の縁を登るようになる。左手に経堂を見て、大洞弁財天の境内に入る。北側、奥に山門(楼門)と本堂がある。山門には長い石段が上がってきている。石段の上では木の枝が額縁のようになっていて、遠くに彦根城を見ることができる(写真)。
この弁財天への正当なルートは、線路の西側から(つまり彦根の中心部から)北に歩き、右に折れ、東海道線を渡り、線路のすぐ脇にある長い石段を上がることだろう。
弁天山と佐和山に登るには、この弁財天の本堂の左手に進み、奥の院を経由して入ることになる。
追記:グーグルマップとストリートビューで調べたところ、東海道線の西側の線路脇に鳥居があり、そこから線路を横切れるように見える。大洞弁財天の石段は鳥居の先、線路東側から始まっているようだ。国土地理院の地形図にも、そのように道が描かれている。線路を渡れなかったらご免なさいというところだが。
弁財天からの彦根城.JPG

2017/06/02


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