川北英隆のブログ

文字通りの高度プロを望む

ネットニュースを見ていると、働き方改革関連法案に関連して登場する「高度プロフェッショナル制度」に対する疑問の記事があった。僕は、「そもそも高度プロフェッショナルって文字通りプロのはず、残業なんて超越してるはず」と思い、今回の制度を理解できていない。
僕の場合、課長職になって残業制度から外れてしまった。「給料相当の(正確には会社側に利益が残るように)仕事をすればええのやろ」と、適当に仕事を切り上げた(その前から残業をあまりしていなかったかな)。その代わり、家では考え、たまには土日に作業することが増えた。いずれにせよ、高度プロフェッショナルと残業とに何の関係があるのか、むしろ無関係ではないかと思っている。だから、今回の制度の趣旨が不明である。
ついでに書くと、今は土日もなく働いている。代わりに「平日=働く日」という意識もない。働く日とは、「働くのに最適な日」以外の何物でもない。これに対して次のような反論もありそうだ。「働きたくないだけなのでは」「天気を見て仕事をしているだけでは」と。この反論への反論を書けば、「働くことは、普通の人間にとって楽しいはずがない」「アンタは本当のとこ、働いて楽しいの」と。
それはともかく、法案ではプロの定義を年収で定義するらしい(あまり関心がないので法案を読んでいない。このため、間違っているかもしれないが)。この定義には疑問がある。プロは年収によって決まるのではなく、余人をもって代え難いから年収が高い傾向にあり、同時にいつ働くかを自分で決められる。というか、プロであるためには、働いていない時も自己研鑽を積んでいるはずである。
このように考えると、今回の「高度プロフェッショナル制度」がトートロジー(同義語の反復)としか思えない。もしくは、本物のプロがいないから、プロだとおだて上げる者を作り上げ、こき使おうとしているのかもしらない。これは、今回の働き方改革関連法案に反対する立場からの一般的な意見である。
逆に、プロだとおだて上げられた者に勇気を与え、「わてはプロやし、疲れたから、仕事の残りは家に帰ってやるわ」と主張するための根拠となるかもしれない。本来的に、このようなプロの登場が待たれる。
多くの日本企業は、プロを見極めて十分な対価を与えるための目利き能力に欠けている。雇用する者の能力は、新規に雇う場合には難しいかもしれないが、しばらく雇うと見極められるはずである。しかし、それをしてこなかった。いびつである。
政府としても、今回の法案を期に、労働力の流動性を図る必要がある。転職市場を作ることである。政府の得意技、補助金制度を用い、「中途採用の割合が多い企業を金銭的に優遇する制度」を整えるべきかもしれない。
プロを育て、日頃から能力の研鑽を図らせ、プロの転職すなわちキャリアアップを促す。これに反し、今回の改革が単なる残業規制だけで終わったのなら、労働市場の改悪でしかない。

2018/05/31


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