川北英隆のブログ

人生せいぜい80年時代

先日、政府の「人生100年時代」なんてキャッチフレーズは変だと、酒を飲んだ席で息巻いた。前にも書いたように、僕はそう思っている。もう一人もそういう意見を持っていたから、ついつい大声で喋ってしまった。個室だったから傍に迷惑をかけなかったはずだが。
65歳を過ぎ、70歳を超えても働こうなんて、そもそも迷惑千万だと思っている。年金を受給できる年齢になった僕が言うのだから、まったくの真実である。
もちろん個人差が大きいので、全員がそうだとは言わない。例外を認めたうえでの一般論として、老人が働くことの弊害を十分に意識しなければならないと思っている。
弊害の1つは、進歩についていけないことである。昔の経験で言うと、最新鋭のコピー機の前で呆然と立っている老人(といっても50代後半)である。今で言うと、ネットの使い方を十分に知らないことに相当するか。そういう僕もそうかもしれない。LINEやメルカリなんて使ったことがないし。
もう1つの弊害は、自説に固守することである。固守するだけならまだ許せるが、延々と演説を始める。会議などでよく見かける光景である。会議なら議長が発言を止めるだろうからまだしも、普通の場で演説をされた分には辟易してしまう。
いずれにしても、本人は働いているつもりでいたとしても、本当は周囲の妨害になっている。政府はこのことをどこまで理解しているのだろうか。そういう老人は政治家にでもなってもらうのが一番かも。って、老人の政治家はますます迷惑か。
人間は何のために働くのか。自説を押しつけるつもりはないものの、僕は「楽しむため」だと思っている。だから、65歳頃まで働いたら十分ではないのか。健康寿命は80歳だと思って大きな間違いはない。65歳でリタイアすれば、もしくは仕事からフェードアウトすれば、残りは10年程度である。その貴重な10年を、趣味でもない「働くこと」に費やしてどうするのかと思っている。
「お金がいるから仕方なく働く」との声もあろう。では、若い頃、お金をどうしていたのだろうか。いずれにせよ政府としては、「人生100年時代」なんて叫ぶまえに、国民の金融リテラシーを高め、リタイア後に備えさせるべきである。
「十分な給与をもらえていない」との声もあるかもしれない。
これに対して、1つは、日本の賃金水準が低すぎると言いたい。企業はより高い賃金を支払えるように、事業の利益率を高めるべきである。もう少し言えば、物真似経営から離れ、過当競争を回避し、事業の付加価値を高めるべきである。経営者として、この本来の仕事ができていないのではないか。政府は企業や経営者を甘やかせている(つまり潰すべき事業や企業を、そして追放すべき経営者を黙認している)のではないか。
もちろん、企業や事業を潰すためには、そこで働いている者の再雇用のため、労働市場を整備しておかなければならない。これが政府本来の役割である。
もう1つは、企業が東京に集中しすぎている。地方で働けば、通勤も楽だし、物価も安い。そうような労働と生活環境を作るように、企業も政府も努力すべきである。
と、ここまで書いて、以上は老人の繰り言の一種だったのではと思ってしまった。傍迷惑にならないうちにワープロを止めよう。

2018/06/11


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