川北英隆のブログ

ナガ族から見た日本とイギリス

コヒマ滞在の最後の日、近くの村、コノマまで足を伸ばした。石垣の美しい村である。実はこの村、コヒマ周辺の制圧を図ったイギリスに最後まで抵抗し、戦後はナガランド建国のためにインドと戦ったことで有名である。先の父親の書いた地図にも登場している。
村には砦がある。村の碑によると、1825年に最初の砦が作られたが、イギリス軍との戦いや、第二次世界大戦後はインド軍との戦いによって何回も砦が壊されたとある。現在の砦は1990年に作られた4代目とのこと。
この地区に攻め込んだ日本軍は、イギリスの敵であり、敵の敵として味方に近かったようだ。第二次世界大戦における日本軍の名目の1つがインドの独立であり、インパールの南、ロクタク湖(12/16)の町(モイラン)には、チャンドラ・ボース中心に写真などが展示された博物館がある。独立のために日本のインパール作戦に合流し、イギリスと戦ったインド国民軍の本部が置かれた場所である。
とはいえ、日本軍は食料が不足していた。食料を現地調達するため、軍票(日本が印刷した海外用の紙幣)と交換で食料を手に入れたようだ。この軍票、日本が戦争に負け、紙くずになった。Maram Khullenでは村人が軍票を見せてくれた。傷んでいたから買い取らなかったが。世話をしてくれた家の主が言うには、軍票はたくさん残っているらしい。最初に見せられたのを買い取っていたら、次々に買い取り請求が来たようにも思う。
上の写真はコノマ砦の正面の門である。門の内側に、ナガ族独特の飾り(牛と人間の顔)を施した彫刻が見える。1983年に作られたとある。門の下に車が何台か見える。村の入口である。そこから先、石畳の道が村中に張り巡らされているが、車両進入禁止になっている。門の上の赤い飾りに大きな意味はない。クリスマスを祝うための飾りである。
下の写真は砦付近のコノマの民家である。
20181224コノマ砦の門.JPG

20181224コノマの砦.JPG

2018/12/24


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