川北英隆のブログ

元日本生命社長の伊藤助成氏

今朝、変な夢を見た。父親が半分悪者だったか、誰かに追われていた。その夢はトイレで中断し、その後に元日本生命社長の伊藤助成さんと空港への途中で出会った。少し一緒に歩いたのだが、伊藤さんが用事だと言い残して横道に消えた。
伊藤さんが夢に登場したのは初めてだろう。
つい最近、日経の記者のインタビューを受けた。その中で、伊藤さんが東京証券部長の時、彼が引き受けた講演会の資料作りを手伝わされたと、そんな思い出を話したからかもしれない。
当時の伊藤さん、資料を作ってもらいご苦労だったというので、銀座にあった秋田料理の店に連れて行ってくれた。伊藤さんの故郷が秋田だからである。その時初めて「とんぶり」なるものを食べた。
伊藤さんが社長だったのは1989年から97年まで、バブルの頂点から崩壊の時期である。その初期の頃、伊藤さんがシュンペーター賞なるものを設定し、僕はその審査の片棒を担がされた。
その賞の内容は忘れたが(ファイルが残っているはず)、表彰式の後に食事会があり、高価なアルコールが登場したのを覚えている。社長就任の時にもらったワインなどをセラーに保管してあったと聞いている。
そういえば、1981年、伊藤さんが取締役に就任した時にも取引先からワインなどが大量に送られてきた。その時、部員にお裾分けがあった。僕も2本だったか、ワインをもらって帰った。白ワインが美味かったと覚えている。
以上、「覚えているのは食事のことばかりかいな」というところ。
伊藤さんは豪快な側面のある人物だった。努力家でもあった。日本企業が高度成長した時代を象徴していただろう。
だから夢の中でも親しく話をしてくれた。その後、「ちょっと用事があるから」と空港の手前で別れていった。僕が日本生命を辞めた2003年3月、確か伊藤さんにも挨拶に行ったと思う。快く見送ってもらった。その2年後に亡くなるとは思いもよらなかった。
夢の中で伊藤さんと別れたのはいいのだが、道が2つに分かれていた。伊藤さんの影の声が「どちらも空港に行く」と言ったように思い、適当に歩いたのだが、田舎道になり、なかなか空港に着かない。
そううち悪友のOが一緒に歩くようになり、足手まといになり始めた。さらに空港の手前の鉄道の駅で「トイレ」とか言い出した。Oは、大学時代の就職活動の時、「株式投資をしたいのなら日本生命を訪問したら」と教えてくれたので、それなりに恩義がある。
でも、トイレの後、歩くのを嫌がり、さらに「空港でのチェックインをどうしたらいいのか分からない」とぐずり始めた。「面倒やな」というので、途中で見つけた知り合いの車で空港まで送ってもらおうとなり・・。いろいろしているうちに目が覚めた。
今朝の夢は株式つながりだったのだろう。それにしても、目的地である空港に着かないうちに目覚めたのは、株式投資で、もっともがかないといけないという暗示なのかもしれない。

2019/09/26


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