川北英隆のブログ

街の風景とノータリン

ノータリンとはノーリターンのタイプミスではない。「脳が足りへん」という意味である。と書いても「何のこっちゃ」かな。街の風景とは閑散とした風景のことである。
京都の風景はどうか。少し前、「観光名所、今がチャンス」と書いたと思う。当時の風景はまだ平和だったかもしれない。
今や京都から中国人や韓国人が姿を消した。町を歩いている観光客は白人系だけである。その白人系でさえ、時々マスクをしている。もうじき日本を敬遠して、やがて姿を消すかもしれない。
先日、居酒屋に行くと、「今日は遅く出てきたので」と、開店時間になっても準備が整っていなかった。思うに、最近は客が激減しているのだろう。だから、多少遅く開店しても問題ないというわけか。この居酒屋、客の大部分が日本人のようなのだが、それでも足が遠のいているのだろう。
細菌保菌者の出た有名ビルに大学の打ち合わせのために入ったところ、いつも置いてない記帳台があった。それを知らぬ顔で通り抜けようとしたら、「セキュリーチェックは」と警備員に呼び止められた。少ししらばっくれて「身分証明書」と聞き直し、大学の職員証を出すとすんなり通してくれた。
後から来た打ち合わせの人は、用紙に氏名等を書いて出さされ、体温を額で計られたとか。これ以上保菌者が出たらビルの値打ちが暴落すると思っているのかもしれない。
つい最近、東京の新橋のまあまあの質のホテルで仕事の打ち合わせをした。昼食時だったのだが、ロビーには、普段ぶつかりそうに大きな荷物を持ち運んでいるアジア系の客が皆無だった。ぽつぽつと日本人だけが広々した椅子に座っていた。
そのホテルのレストラン、いつも昼食時のメニューにあるサラダバイキングが消えていた。コロナ騒ぎで中止にしているのだとか。
ホテルの朝食のバイキング、「危ないで」と知り合いに注意されていたものだから、昼食時のバイキングがなかったのは嬉しかった。というのも、打ち合わせは相手からの要望であり、その時にいつもご馳走になるメニューがそのサラダバイキング付きの昼食なものだから。
新幹線ががらがらである。金曜日の夕方、それも3連休の前であっても席を選び放題だった。出張が自粛になっているからだろう。普通車両1両に10人程度しか乗っていないこともあるらしい。ネットでチェックしたところ、数日先の昼間の予約なら数か所しか予約が入っていなかった。
会社によっては、役員は自宅待機とか、社員全員自宅で仕事とか(だから事務所には警備の人間しかいない)、社外との一対一の面談でさえ(当然社外を交えた会議は)原則禁止とか、異常な状況になっている。当分仕事は開店休業に近いだろう。
そんな中、ライブハウスでの集団感染が判明した。「ライブハウスって何や」と思ったところ、1980年代後半のディスコみたいなものか。そんな雑踏の、時には押し合いへし合いがあり、阿鼻は付けないまでも叫喚の中に何時間もいたら、1人の保菌者のウイルスが、霊のように多数の者に乗り移るに決まっている。
そこで思ったのが冒頭のノータリンである。自分が何をしていて、どういう危険の中にいるのかを考えもしないというか、考えられないというか、そういう輩が増えてきた。コロナちゃんの前に、もっと変なウイルスが脳ミソに入ってノータリン病になったのではないだろうかと思っている。

2020/03/05


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