川北英隆のブログ

烏の哀れ

今朝、大学で用事をしようと思い、荷物をかき集めていると、烏(鳥じゃない)の鳴声がいつもより弱々しいように感じた。本当に弱々しいのかどうか。単に僕の気分の問題かもしれないが、もしも本当だとすれば、理由は簡単だろう。
それは、京都でも多くの料理屋や居酒屋が閉まり、開けていたとしても客が少なく、食品廃棄物があまり出ないからだろう。だから烏、腹を空かせて元気がないのかもしれない。すでに餓死が起きていて、死人ならぬ死烏も出ているか。
京都の町中に住んでいると、朝の目覚めは烏の鳴き声である。三鷹や国分寺という、都心から少し離れた場所では、スズメやハト、季節によっては時たまだが、ウグイスやカッコウだった。京都、烏では目覚めがよろしくない。
だから、烏が減ることは嬉しいことなのだが、目の前で減られては哀れにも思う。人間に寄生して増えた烏からしても、「急に餌を減らさんといてくれや」、「前々から計画的に、たとえばゴミの回収は早朝にするとかして、餌を減らしてくれてれば、こっちとしても一気に飢え死にの危機を迎えなかったのに」と、文句の1つもこぼしているだろう。
蹴上付近を運動がてら歩いていると、キンポウゲが満開だった。丸い烏の目のように、朝日に輝いていた。烏口が減り、目玉がキンポウゲの花になったのか。

2020/04/27


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