川北英隆のブログ

冬野と栢森経由で石舞台へ

談山神社に戻り、入山料を後払いした(真面目)。その神社の建物だが、当初のものは興福寺との争い、南北朝時代の戦などで焼けてしまい、現存するのは室町時代を中心として再建されたものだとか。そのせいか、すべて重要文化財であり。国宝はない。
談山神社の西門跡を出て左手、冬野へと登った。植林の中の道である。途中、かつての道が崩れたような部分もあり、小型二輪車でなんとか通れる程度にすぎない。
冬野の手前に名水が湧き出ている。一杯口に含み、もう一登りすると集落に着く。標高650メートル地点、御破裂山よりも高く、当日の最高地点となる。
冬野は吉野への街道に沿った集楽である。さらに登ると竜在峠(720メートル)を越す。飛鳥方面から吉野への道は、西から、芋ヶ峠、竜在峠、細峠などがあったらしい。竜在峠は本居宣長が越えたとある。細峠は松尾芭蕉が越え、「ひばりより そらにやすらふ とうげかな」(笈の小文)と残した碑があるとか。昔、峠には茶屋もあったらしいのだが、コロナのはるか前に絶滅している。
冬野の集落、ほとんど誰も住んでいない雰囲気だった。聚落の一番上に神社があるのだが、獣避けの電気柵の外だったため(つまり人間が柵の内側に閉じ込められ)、行けなかった。
冬野から南西に車道を下った。畑の集落の上、ごみ焼却場を過ぎ、三叉路に出る。そこを左側の車道に折れ、飛鳥川の上流部に出ることにした。車道は飛鳥川と並行しながら延々元来た方向に(上流部に)戻っていくので、途中でショートカットして川に出たかったのだが、地形図に書かれた道は不明瞭で使えなかった。そもそも車道も、落ち葉が降り積もり、車がほとんど通っていないに等しかった。
飛鳥川に出ると、「男渕」の表示があった。飛鳥川の上流へ、300メートルとある。時間もあるし、昼飯の時間やしというので寄り道することにした。ところが、この男渕とやら、目立った淵らしいものがないまま、「何のことやろ」で終わった。昼飯だけは淵らしい所(そうしておいた所)で食べたが。
その後、飛鳥川に沿って下り、栢森から石舞台まで歩いたのだが、山道を抜けた瞬間、6月の暑さが襲ってきた。
下の写真は石舞台に近い稲渕の男綱である。飛鳥川に渡してある。上の写真はその上流、栢森の女綱である。中心部の飾り?に両者の差がある。力関係に応じ、女を上にしておいた。
20200611女綱.jpg

20200611男綱.jpg

2020/06/12


トップへ戻る