川北英隆のブログ

黒谷さん付近の不思議な場所

昨日、吉田山を越え、神楽岡通りに出て、そのまま黒谷さん(金戒光明寺)の前を通ったと書いた。実は神楽岡通りを一回東に折れなければ黒谷さんの前にはすんなりと出られない。この付近、碁盤の目になっている京都の中心部と異なり、道が複雑に入り組んでいる。
黒谷さんの正面の入口は高麗門だと思う。ネットで調べてもそう書いてある。この門に至るのも、表通り(丸太町通り)から外れているため、知らないと難しいかもしれない。ましてや吉田山方面からとなると、複雑怪奇だともう一度書いておきたい。
本当のところ、まさに怪奇でもある。
大学から黒谷さんは近く、しかも高麗門近くに知り合いの会社の施設がるので、何回か歩いたことがある。適当に歩いていることもあり、同じルートをたどってその施設にたどり着いたことは、多分一度としてないと思っている。
ある時、歩いていると「京都大学医学部」の標識の掛かった空き地の前を通った。大きな石塔が空き地の真ん中にあり、その空き地は柵で囲われている。その時は大学の財務に関係していたこともあり、「何だろう、大学、不要な不動産を売り損なったのか」と思っただけだった。
昨日、その「京都大学医学部」の前を偶然に通った。つまり、神楽岡通りに面している。そして、6月の金沢は卯辰山の経験から、空き地が何なのか瞬間に悟ってしまった。
医学部では解剖をする。その霊を祀るための施設である。卯辰山にも同様の施設があり、もっと堂々と金沢大学の案内が掲げられていた。京都では、それが半ばこっそりと祀られている。といっても石塔は立派であり、多分戦前からあったのだろう。
「京都大学医学部 福ノ川」で検索すると、そのものずばりの情報が1件だけヒットする。グーグルマップの航空写真バージョンを見ると、「公安院」というお寺のすぐ南に、大きな石塔と空き地が写っている。
この付近、京都の東の(つまり西方を望める)高台にある。天皇陵あり、黒谷さんあり、多くの寺がある。やはり極楽浄土への最短路があったのだろう(今もそうなのかな)。
そんな悟りもあり、神楽岡通りの散策の最後に黒谷さんの高麗門に出た。その時の写真をアップしておく。
門の左側の表札には「京都守護職本陣 旧跡」とある。旧跡は昔の字体である。京都守護職本陣の横には会津藩の文字も。ということで、新選組も出入りしていた史跡ということになる。
20200714黒谷さん高麗門.jpg

2020/07/14


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