川北英隆のブログ

企業の栄枯盛衰を生糸に見る

前にも書いたかもしれないが、歴史は好きでない。年号を覚えたところで何の意味があるのだろうか。おおよその記憶でいいと思うのは、O型人間の所以かも。とはいえ、60年近く日本の株式市場を眺めていると、そこから学ぶものも多いし、栄枯盛衰の連続である。
最近関心を持ったのが生糸産業である。僕が株式市場に関心を持ち始めたのは石炭、砂糖、生糸がピークアウトした後だった。
石炭が全盛だった名残が炭坑節(月が出たでた月が出た、三池炭坑の上に出た・・)であり、大人が酒席で歌っていた。砂糖には当時有名だった相場師の横井英樹氏(今の村上系ファンド的な存在)がちょっかいを出し、その度に株価が大きく動いていた。生糸に関する記憶はあまりないのだが、石炭や砂糖と同様、相当数の上場企業があった。
生糸に関心を持ったのは、数日前、オーミケンシに関するニュースを目にしたことにある。「そんな会社があったな」と思い出した。オーミケンシ、隠密剣士でもないし(古いか)、近江剣士でもない。かつて、近江絹糸紡績という社名だった。名前が表すように、滋賀は彦根市の会社である。ちょっとしたオバさんならミカレディを知っているだろうが(オバさんと言われた瞬間、誰も「知らんなあ」と横を向くかな)、そのブランドを持っていたのがオーミケンシである。
そのオーミケンシ、記事によると、会社として解散の瀬戸際にあるらしい。というのも繊維関係事業からの撤退と相当数の希望退職を募るとか。
昭和30年(1960年)頃の業容を会社四季報で調べると、半年間の売上高が60億円前後、利益(税引後)が1から2億円前後だったようだ。期によって大きく変化しているから、当時からすでにボロ会社だったようだ。とはいえ、まあまあの事業規模である。ちなみに、2020年3月期の売上が90億円、赤字決算だから、半世紀以上、何をしてきたのかということになる。
また、当時の生糸の同業他社には、片倉工業、郡是製糸(現在のグンゼ)、昭栄製糸(ヒューリック)、神栄生糸(神栄)、神戸生糸(2003年に民事再生法適用)がある。現在、繊維関係でまだまともな事業を営んでいるのはグンゼだが、それとて今は生糸ではなく、綿の肌着関係である。
その他の企業は戦前から保有していた資産を活用し、不動産業に進出、それが主体となっている。逆にいえば、それしか残っていないに近いのだろう。
その中で、昭栄は完全に不動産に転向して社名もヒューリックに変わった。というか実質的な救済合併により、安田系の不動産会社であるヒューリックに飲み込まれたと考えていい。
もう少し経緯を遡れば、昭栄は2000年に村上ファンドから公開買付(TOB)を受けたことでも有名である。その狙いは保有していた不動産にあった。旧安田財閥系の企業が一致団結して防衛した。生糸全盛の時代は片倉、郡是に並んでいたが、「創立以来安田財閥の秘蔵子」だったと東洋経済会社四季報にある。旧安田財閥(それを引き継いだ富士銀行)として、人の手に渡すわけにもいかず、潰すこともできなかったのだろう。
思うに、産業は栄枯盛衰を繰り返す。全盛期があっても、やがて衰退していく。その大きな流れの中で、伸びていく企業をいかにして見つけるのか。いかにして見切るのか。これは株式投資において重要な判断なのだが、就職も同じである。
衰退しつつある企業に入って腕を磨き、数年後に転職するという方法もあるのだが、どこまで上手くいくのか。また、衰退しつつある企業で、将来役立つ役立つ腕をどこまで磨けるのか。上司には栄光の時代に入社し、その中での成功体験を経験した者も多いはずで、彼らとどう付き合い、対処するのか。このことをよく考えて就職しなければならない。
ついでに書くと、石炭、砂糖、綿や生糸が花形だった頃、優秀な人材がそこに集まった。その後どうなったのだろうか。鉄、造船が花形だった頃も同じである。僕の大学の同級生も何人かが鉄に就職した。今どうしているのか知らない。多分、就職先の企業を転落から救うため、上司の命令の下、四苦八苦し、定年を迎えたのかなと思ったりする。

2020/08/22


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