川北英隆のブログ

マイナンバー提出の変

毎年9月になると、税務関係の「依頼」と称する「命令」がいろいろとやってくる。今日も1通の手紙が届いて、「マイナンバーご提出のお願い」とあり、下に「・・提出が法律で義務付けられています」とある。柔らかに命令しようとする慇懃無礼な国である。
コロナの10万円給付で露呈したように、そもそもマイナンバーの機能が混乱している。収入の把握が最終的な目的だと思えるものの、それにしてはシステムの設計が稚拙である。
マイナンバーが個人情報の把握につながるとの強い批判があったため、中途半端なもので終わったとの理由を聞く。でもと思うのは、マイナンバーがそもそも目指した収入の把握とは、個人情報の把握そのものではないのか。
どこまで情報を把握するのか、それが国民にどのような便益をもたらすのか、国として正しく、しっかりと説明する必要があった。とくに税金の徴収に関して、マイナンバーは多くの国民に利益をもたらしたはずなのに、それに関する説明を聞いたことがない。
たとえばサラリーマンに何の不利益があるのだろうか。サラリーマン以外の、収入を隠し放題の(言い過ぎかな)者たちが困るだけである。
それなのに、それまで「きちんと所得の把握をしている」と豪語してきた手前からか、それとも「サラリーマンに源泉徴収という相対的な不利益を強いてきた」ことを隠しておきたいためからか、徴税者側はマイナンバーの本当のメリットを主張しなかったようだ。その結果が中途半端な、もう少し言えば「チョンボ」な今のマイナンバー制度に帰結してしまった。
マイナンバー制度がちゃんと設計され機能していれば、それがデジタルシステムの上で構築されていれば、毎年この時期に「お願い」が郵送されてきて、住所と番号を確認もしくは記入する必要はなかった。さらに所得の発生が主たる勤務先の場合、今は扶養家族の構成を確認した上で、その職業や所得まで書いて提出する必要があるわけだが、本音で言えば、何故そんなことをしないといけないのか不明だし、マイナンバーのシステムがそれを代替してくれて当然だと思っている。ちゃんとした国であれば、住民票などの情報と突き合わせれば済むわけだから。
現在、徴税者側は今も続く煩雑な手続きについて、民間企業などに「やれ」と言うだけである。一方、民間は現在の手続きに多額の経費をはたいている。たとえば、郵便局に切手代を払い、その収益に貢献している。「ひょっとして、そういう意図だったのか」と疑心暗鬼に陥るのだが。
付け加えれば、「お願い」とそこに同封されている書類の様式がバラバラなため、手続きをする個人も混乱してしまう。多分、多くの誤記や誤送が生じているに違いない。
以上、日本国のシステムリテラシーの欠如に対する嘆き節である。
ついでに書くと、そういう国に限ってごくささいなミスに目くじらを立てる。言い換えればおおらかさがない。たとえば僕の住所だが、住民票に登録してあるものは(当然ここでは書かないが)42文字ある。京都だから、縦と横の通り名と、さらに上ル、下ル、西入ル、東入ルが入るからだが、それをいちいちチェックして「ここ、住民票と違うのですが」と聞くふりをして、直せと言ってくる。「京都やし、真ん中の縦と横の通り名、あってもなかっても一緒なんやけど」と言っても通用しない。
そんなどうでもいいことに力を入れるのではなく、もっと肝心なことに頭と労力を使わないと、この国の未来が暗い。そうは言っても、今後10年やそこらはこの国が持つだろうから、僕としてはどうでもいいのだが。老婆心というか、老爺心ながら。

2020/09/04


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