川北英隆のブログ

医者はどこまで専門家か

日本では医者に対する信頼度が高い。正確に書けば、医者の信頼度が高いのだと、自画自賛させるように医者の団体が政策誘導している。誤解がないように書き加えれば、信頼度の高い医者はたくさんいるし、診てもらっている。とはいえ、医者といえども人間である。
医者に診てもらう時には、患者としても医者をちゃんと観察すべきである。
実例である。30代の半ば、盲腸炎になり、大きな病院に行った。問診の後、レントゲン撮影された。撮影したフィルムを見ながら医者がどう処置するのかを決めるのだが、映し出された写真に別人の名前があった。「僕のやないけど」と注意したら、「ああそうや」となった。その後、その医者が「散らせる」と言うので、手術よりも「そら散らすのがええやん」となり、薬をもらって帰った。
数年間、with盲腸となったが、最終的には手術した。執刀した医者が言うには、「何回か化膿したためか盲腸が小さくなっていて、探すのに苦労した」と。ついでに「盲腸を散らすなんてできへん」と。つまり、頼りない医者の頼りない判断で、えらい目に遭った。
どうすれば良かったのか。盲腸くらいは自分で判断でき、多くは判断が正しいから、盲腸の時にどうすればいいのか(手術しかないのか)、今ならネットで調べて医者に行くべきだ。痛みで検索する気力がないのなら、家族か知人に調べてもらうのがいい。医者といえども人間だから、ケアレスミス、判断ミスを想定しておかなければならない。
その他、虫歯と違う歯を削られそうになった事件(これは家内)、雑音の多い場所で聴力の検査を受けさせられて「難聴」と言われた事件、50肩の検査でレントゲンに大きな影があると言われた事件(多分レントゲンのセッティングミス)など、「医者の信頼性ってこんなもんや」という事件はいろいろとある。
そうそう、昔住んでいた家の近くの開業医、頼りなかったこと甚だしいことを付け加えておこう。開業した後は勉強していないのだろう。今の家の近くの優秀な開業医と雲泥の差である。
だから、かつての職場に設置されていた診療所の利用は風邪薬をもらう程度にしていた。それも「風邪みたい」と自己診断してから行った。その日の担当の医者が「そやね」と簡単に風邪薬を出してくれたが、その薬は効かなかった。
新聞を読んでいると(前からそう聞いていたが)、コロナの検査は医者が介在すべき行為であり、唾液を使って医者の介在しない検査をしようとすれば、それは医療での検査ではないらしい。
注射を思い出してほしい。医者の注射は怖い。看護師の注射なら安心できる。注射の経験数の差である。もう1つ思い出した。京都で有名な整形外科の医者が、「某整形外科の病院で注射してもろたが、痛みが止まらへん」と訴える患者を診て、「ブロック注射がうまくでけてへんな」と言っていたとか。
コロナのPCR検査もそうだが、一定の訓練を受ければ、薬剤師も可能なようにすべきである。薬剤師の方が最終的には上手になるだろう。
精度が低いとされる唾液検査でもいいではないか。発熱して風邪の症状が出てくれば、唾液検査をする。それで陽性なら病院に行けばいい。精度の高いPCR検査を簡単に受けさせてくれないよりは、潜在的なコロナ患者に遥かに(僕の嫌いな表現ながら)「寄り添う」と思うのだが。
医者も人間、銭を最愛の対象とする者もいるのだが、「そらそれでいい」と思う。しかし、一方で専門家でもあり、国から医師の資格認定を受けている。その医師試験の中に職業倫理試験はないのか。それがあれば、社会のために医者として果たすべき役割、他の専門家に任すべき範囲など、もう少し責任を持って判断できるはずだと思う。ちなみに、証券アナリストの検定試験には職業倫理があり、その部分で一定の基準に達しないと、他の部分で満点であっても「不合格」である。

2020/09/27


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