川北英隆のブログ

過去をたどる歩き

今回歩いた余呉から賤ヶ岳、山本山、河毛経由、岡山は、歴史をたどる山歩きであるとともに、過去の思い出を呼び覚ます歩きでもあった。黄泉の国かいなだが。
余呉の話しを友人にしていると、「それって三ツ目がとおるに出てくる余呉神社のことではない」と言う。確かに、三ツ目がとおるには琵琶湖(余呉湖?)のような湖が出てきて、その湖底を探るストーリーがあった。手元に三ツ目がとおるの漫画がない(どこかに置いたか、捨てたか)なので確認できないが。
山本山に登りながら、小学校(郡山小学校)の同級生に山本悦子ちゃんというのがいたのを思い出した。3年と4年生で同じクラスだった。5年生と6年生はたしか隣のクラスだったと思う。一緒に学級委員をやったこともあり(学級を任せて大丈夫かいな)、4年間、時々話しをした。習字の時、隣りに座って「こう書くのや」と教えてもらったこともある。それが、6年生の秋以降だったか、すっかり姿を見なくなった。彼女の友人に聞くと、広島の小学校に移ったとか。多分お父さんの転勤だったのだろう。
岡山の南にある虎御前山(220メートル)には登ったことがある。記録では1985年11月22日とある。母方の婆さんが亡くなったので、その葬儀のために奈良に戻った。22日は、調べると金曜日、翌日は土曜日かつ勤労感謝の日だった。思い出すと、22日に通夜があったと思う。虎御前山を歩き、奈良に戻って通夜に間に合わせたような。翌年が寅年だったので、虎御前山を年賀状に書き込みたかった。
婆さんの干支は子のはずで、子年になくなったので84歳か85歳。これも調べると(戸籍謄本がある)、婆さんは明治33年、1900年の生まれの子。9月が誕生日とあるから、85歳で亡くなったことになる。
近々、小谷山を歩きたいと思う。余呉から長浜付近にかけてのすべて見渡せるだろう。
アップした写真は虎御前山である。虎が伏せたようだから名前が付いたのか。山の右手側(南)に虎姫という駅がある。姫虎駅から歩き、虎御前の中央左手の最高部に登り、虎姫駅に戻った。
20201001虎御前山.jpg

2020/10/01


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