川北英隆のブログ

横山岳への追記

横山岳は名山だったようだ。同時に、この地に暮らしてきた人々の魂の山のようにも思えてきた。このことを追記しておきたい。
1つは、ブログの読者、高木さんからもらったコメントである。以前にも、ヘビと気温15度の関係をコメントしてもらった。
それによると、三高尾根とは、旧制高校の三高だとか。そうかなと思っていたのだが、文献とともにコメントが来たので納得した。芝村文治編『秘境・奥美濃の山旅』(1972年、ナカニシヤ出版)の68ページに記載があるとか。
実はこの『秘境・奥美濃の山旅』を持っていたのだが、今回の山歩き用には開きもしなかった。コメントをもらい、急いで開いたところ、「かつて旧制第三高校学校の山岳部がここから横山岳へ登ったことから・・・名付けられた」とある。さらに続けてコメントには、1926年(大正14年)1月に今西錦司氏らのパーティが杉野からこの尾根をたどり、山スキーで登ったとある。
その記録は『三高山岳部報告』第四号に掲載され、今西錦司初期山岳著作集『初登山』に再録されているとのこと。コメントには「積雪期初登だったはず」とも書かれていた。また、その時に雪崩が起き、杉野から救援団が出たとか、100年近く前の活気ある村の様子が描かれているらしい。
もう1つは、義理の叔父の満中陰の翌々日、ついでに墓谷山に登ったことである。別々に計画していたため、山に入って初めて、何かの導きかと気づいた。
それだけなら「思い過ごし」なのだが、帰りの電車の中で愛用しているプロトレックの時間表示が消えた。この1年近く生じていなかった。「ええっ、墓谷山でこの時計、ついにあの世行きになったんかいな」と思ったのだが、家に帰ると復活していた。墓谷山に敬意を表し、黙祷したのだろう。
以上、ためになる話と、雑談とである。
写真はコエチ谷林道終点からの鳥越峠である。
20201030鳥越峠.jpg

2020/10/30


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