川北英隆のブログ

石堂ヶ岡を越える

新名神高速をくぐり、川に下る。佐保川という名である。「奈良の実家を流れていたのも佐保川で、同じ名前」と思いながら、川沿いの県道に出た。
そんなに交通量が多いわけでないが、歩道のない県道は嫌である。300メートルほど歩くと左手に車道が分かれる。旧道だろうか。それに入り、車から開放される。その鄙びた車道を歩いて再び川に下り、泉原という村に入る。上り坂が続く。
そのまま進むと再び県道に出るので、村中で車道を離れ、川を渡り、村の南側、山沿いの道に入った。農作業用の道で、軽トラくらいは通れる。山裾に沿いながら歩くと、途中でお地蔵さんがある。その先、田畑が荒れるに任せてあった。
再び県道に出るが、ショートカットした効果があり、石堂ヶ岡のゴルフ場に向かう車道の分岐まで100メートルほど歩くだけですんだ。そのゴルフ場への道はほとんど車が通らないものの、勾配がきつい。ゴルフ場のクラブハウスまで高度差300メートルあるから仕方ない。
その車道の途中、地形図には「天狗岩」と記されているので「どんな岩か」楽しみにしていたのだが、何もなかった。その先で三叉路になる。左(北)がゴルフ場への車道である。それを上がるとクラブハウスである。中に入り、フロントで「そこのピークまで登らせて」と言う。相手も慣れたもので(一等三角点なので登山者がそこそこいる)、女性が登山口まで案内してくれた。
ゴルフ場の道路からすぐ上が石堂ヶ岡の山頂である。グリーンに囲まれ、ぽつんと取り残された感じでもある。頂上は林の中だが、施設用の小屋が立ち、線やパイプが目立つ。ゴルフ場にとってみれば「測量用の基準点なので残しといて」と言われただけ、時々変な身なりの者達が登りに来て迷惑なのかもしれない。それでも親切に案内してくれたので恐縮なのだが。
「登頂」を終え、フロントでお礼を言って石堂ヶ岡を去った。三叉路まで戻り、そこから逆方向(西)に下る。すぐに北摂霊園、つまり広大な墓地に入る。その中に車道が通っているので、それをたどって北に抜ける。目指すは高山という村、高山右近の生誕地である。車道を下っていくと、村までは一本道である。
高速をくぐってから石堂ヶ岡まで80分、石堂ヶ岡から高山村まで35分だった。
写真、上は石堂ヶ岡の三角点である。下は高山村にある高山右近の生誕の碑である。神社の境内かその外れにあるのだが、碑には十字架が刻まれ、日本の神様とキリスト様が同居していた。
20210212石堂ヶ岡一頭三角点.jpg

20210212高山右近生誕地.jpg

2021/02/12


トップへ戻る