川北英隆のブログ

「投資で生活」は見果てぬ夢

今日の日経新聞の社会面はひどかった。「投資で生活する」ことをいかにも推奨するかのような記事というかドキュメントというか、それが紙面を飾っていた。質の悪い週刊誌ネタを多少品良く書いたという類だろう。
真面目には読んでいないが、要するに5000万円だったか、親の遺産を含めて資産があり、それを相場に注ぎ込み、収益で生活しているというもの。元の勤務は辞めていて、満員電車で通勤する生活には戻れないとか。
この記事がドキュメントだとすれば、主人公は目の前のことしか見えていない。それも極めての二乗が付くほどである。
まず考えないといけないのは、足元、世界の市場が上げ相場だったことである。だから、「売り」から入れば別だろうが、通常は「買い」から入るので、誰であっても多かれ少なかれ儲かったのである。
相場はどこかで反転する。その可能性が高い。その時のことを想定し、行動しなければならない。そうでなければ(今の儲けに有頂天になっていれば、ましてや自分は天才だと思ってしまえば)、どこかで暗転が待っている。
次に相場に資金を注ぎ込み、短期に売り抜けるのは、投資ではなく投機だという事実である。少し長い期間で考えれば、投機はゼロサムのゲーム(誰かの儲けは誰かの損失)である。株式市場のように経済の成長に合わせて価格が上昇する市場であればともかく、外国為替のように(FXが代表的なように)価格がランダムに近い動きをすれば、まさにゼロサムゲームである。
ここで株式市場がゼロサムゲームでないと言ったのは、長期間株式を保有していた場合、その株式が値上がりしている可能性が高いからだけである。毎年コンスタントに、たとえば10%の収益(配当と値上がり益)をもたらすとわけでない。損する年も当然ある。
日経新聞の事例の場合、5000万円をすべて株式に注ぎ込み、そこから毎年10%の投資収益を期待できたとすれば、年間500万円になる。何とか生活できるだろう。
しかし、ある年には損をして500万円が入らないことも当然ある。それが数年続くこともありうる。その時、どこかで生活費を得なければならない。「どうするんや」と思う。それに、長期間保有した株式が上がらない場合も大いにある。これらのことを想定しているのだろうか。多分、長期投資なんて想定外だろうが。
日経新聞、社会面だからという軽いノリで「悪い週刊誌ネタ」を掲載したのだろうが、名声のある日経新聞らしくない。少なくともこのオチを書いてほしいものだと(落し前かな)、要求しておこう。

2021/05/03


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