川北英隆のブログ

株式投資に配当は重要か

個人で株式に投資していると、配当が楽しみとなる。株主優待もそうである。「でもね」と考えないといけないのは、本当に配当や株主優待で喜んでいいのかどうかである。
どうも日本の投資家はプロ投資家を含め、配当にこだわり過ぎている。その延長線上で、配当に関する決議を取締役会に任せたくない、自分たちで決めたいと思っている。「ほんまかいな」「アホくさ」である。
いつも指摘するのが、アメリカでは配当なし(無配)の著名会社が多いことである。代表的には、グーグル、アマゾンである。「新興企業やから違うか」と思うのは浅はかである。
たとえば、株式投資の神様と称されるウォーレン・バフェットが率いるバークシャー・ハサウェイ(実質的に1962年創業)は、決して新興企業ではない。それでも無配である。何故なのか。
バークシャー・ハサウェイの場合の答えは簡単である。投資家として現金が必要になれば、配当に大きな意味がない。むしろバークシャー・ハサウェイの株式を売り、現金化すればいい。
もしも配当として利益を受け取れば、それを受け取る投資家にはこの配当に対する税金が徴収される。この税金の分だけ損失(機会損失の一種)が生じる。というのも長期の投資であれば、株式を売却した時の値上がり益に対して税金が徴収されるわけだが、(イメージすればすぐ理解できるように)その税金としての支払いが先送りされている。この先送りの分だけ、配当として毎期利益を受け取るよりも投資効率が高まる。バークシャー・ハサウェイは以上の発想に基づいているのだろう。
すこぶり付きの利益を挙げている新興企業(たとえば上で指摘したグーグル、アマゾン)が無配であるのは、ある意味で当然である。グーグルやアマゾンにとって、利益を配当するよりも、新しい設備や事業に投資したほうが「株主のためになる」からにすぎない。これらの企業の新しい投資が、20%、30%(数字はイメージ)という高い利益を、結局のところ株主にもたらす。言い換えれば、(企業はもちろんのこと)株主にとって、株価上昇という形で非常に大きな利益が実現していく。
日本の場合、無配企業は駄目企業とのイメージしかない。高度成長期の初期、株式の配当利回りが金利(利子率)よりも高かった時代があったが、無配は駄目というのは、その当時の記憶だろう。高度成長期の初期は、株式投資の本質が「預金」の代わりだった。だから無配は悪とみなされたようだ。当時、国全体の資金が不足していたのだから、また企業がいつ潰れても不思議ではなかったから、仕方なかったのかもしれない。
今は、上場企業のほとんどが新しい有望な投資機会を見つけられていない。だから日本経済の発展もない。株価もアメリカとの対比で上がらない。高度成長期の初期とは違い、配当でしか株式が買われないのは、言い換えれば成長で株式が買われないのは、日本企業が無責任だからとしか思えない。グーグルやアマゾンのような企業が日本に1つも見当たらないのは、どうしたことかとも表現できる。
さらに言えば、株主総会で企業の配当を決めるのは馬鹿げている。株主として、経営者にむち打ち、「成長したいのなら配当を少なくするか、なくせ」「成長しないのなら全額配当しろ」とだけ言えばいい。それに経営者が無反応なら、株主としてそんな経営者のクビを切ればいい(取締役の選任案にノーと言う)だけである。「利益のうちの何%を配当するのが適切」なんて、外部者である株主に決められるわけがない。プロの投資家であっても同じである。
それなのに、株主総会で配当に対して意見を言うなんて、きわめて不思議な現象である。それなら自分で企業を経営すればいい。
今日はここまで。続きを後日にでも書きたい。

2021/05/08


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