川北英隆のブログ

何とかしろや紋切り言葉

テレビやマイナーなネットニュースなどを見ていると、受けを狙うのか、「そうしろ」と言われているのか、何も考えていないのか、いずれにしても慣用的な、しかも耳障りな表現によく出食わす。すぐに思い出せる例を書いておきたい。
「絆」である。東日本大震災以来、流行っている。そこら中に絆がある。そんなに沢山の絆で結ばれたら身動きできないだろうに。多くは「エア絆」だろうし、あっという間に消滅するだろう。絆なんてそう簡単にできるものではない。
本当の絆の意味は、絆という用語を深い友情、深い信頼関係で言い換えて判明する。世の中に万とある絆の多くは言い換えられないだろう。そういえば反社会的勢力に「絆」と付くのがあるとか。それはそれで正しい使い方のような。
「寄り添う」である。これについては7/11に書いた。一言で感想を書くなら、「気安くベタベタ引っ付いて来んといて、気持ち悪いさかいに」となる。
「承知していません」である。政治家がよく使う。恰好を付けているのかどうか、「知りません」「聞いてません」「正確かどうか判明してません」と、もう一歩踏み込んで説明するのが本筋だと思う。「承知していない」という一言で切り抜ける、まさに絶妙の工夫かも。
それこそ「(あんたらがよく使う表現を借りれば)国民に寄り添って説明しろや」と思う。それと、「記憶にありません」は「承知していません」の兄貴分かもと思う。姉御とは言わないが。
「遺憾」である。これこそ何を言いたいのかわからない。辞書を引くと、「心残り、残念、気の毒」とある。つまり発言者の感情が込められているのだが、それほど激しいものではなく、きわめて曖昧である。しかし使われた状況から判断するに、もっと強い感情を込めていい場合が多いのではないか。
そもそも、状況に応じて言葉を使い分ける能力が政治家や企業のトップには必要である。それを何でもかんでも「遺憾」で済まそうとするのは、能力不足である。その程度の能力しかない政治家や企業のトップが日本の社会湯や経済を動かしているのは、はなはだ遺憾である。本当は「激怒」か。
「命を守る」である。気象や防災ニュースを検索するとやたらと出てくる。要するに「防災のための行動をとれ」ということなのだろう。この「命を守る」の背景にあるのは、1つは気象庁や放送局の自己防衛本能というか責任回避である。「情報が報じられたのは知っているが、逃げろとは言ってなかった、ここまで深刻で切迫しているとは聞いてなかった」との国民の文句を事前に封じているのだろう。
もう1つ、「上から目線」も感じる。「どうせジジババは馬鹿たれや」「死ぬでとでも脅かさんと、動かんで」という差別意識や先入観がにじみ出ている。「でもねえ、毎回、命を守れと言われてもねえ。ちゃんと命を守ってたさかいに古希になり、米寿になったんやで」となるのが落ちだ。
最後は「おいひい」である。コロナの影響なのか。食べ物番組が多くなって、女性のレポーターが出された食べ物を口にしながら「おいひい」と言う。言い訳的に書いておくと、男のレポーターの多くもよく似たものだが、少しは女よりましな比率が高いのかなと思っている(そんな下らん番組をよう見てるんやなあと感心されそうだが)。
その「おいひい」で思い出すのが(わが家の飼い猫だった)ロッキーである。女である。迷い猫としてやってきた最初の日、カツオ飯(飯に花カツオを乗せたもの)を食べさせてみた。と、「ウァン、ウァン」言いながら食べていた。「おいしいか」と聞いても「ウァン、ウァン」である。「おいひい、おいひい」と訴えていたのだろう。
迷い猫から飼い猫に昇格した後、その同じカツオ飯を「今日はこれやで」と専用皿に盛ると、鼻を5センチくらいまで近づけて横を向いてしまった。「おいひい」としか言わない人間と違い、「こんなん食べられへん、ウチは高級食材しか食わんのや」とでも言いたげだった。その高級食材とは、生節の切り落としか、生のカツオの中骨だったのだが。

2021/09/22


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