川北英隆のブログ

村の婆さんは何者か

先日、南丹市での山歩きの後、神吉の村で30分くらいバスを待った。公民館前で待つのには村中の道が狭すぎたので、1つバス停を移動し、神吉上を使った。村の外れである。村中では人も猫も犬も見かけなかった。バス停の前の桜が満開で、ピンク色が濃い。
神吉上のバス停の横には工場なのか、比較的新しくて村中にしては大きい建物が建っていた。使われていないのか、シャッターが下りていた。その斜め向かいには、やはり使われていないような、少し古びた建物があり、ごく小さな「○○林業」という標識が戸口に貼ってあった。その戸口の前に木の台があった。壊れそうながら、バス待ちにちょうどいいので浅目に腰掛けた。
満開の桜を眺めていると、買い物用のカートを押した赤い服の婆さんが村中に入ろう通りかかり、僕に気づいた。「バスを待ってるのかい」と近寄ってきた。「そう」と返事をすると、「桜が綺麗やね」と言いながら、同じ木の台の奥に腰掛けた。婆さんは空気のように軽いのか、木の台は少しも動かなかった。
「村には誰もいなくて」「桜が咲いたというんで散歩してる」「知り合いは老人ホームに入ってしもて、話し相手がいてへん」「村の若いのは車ででかけてしまう」「桜が綺麗やね」「老人ホームに入ろうとしてるのやけど、順番待ちやと言われてる」「90歳で待ってるのもいるそうや」「桜でも見ようかと思うて出てきた」と。
「向かいの倉庫、建ててすぐに持ち主が亡くなった」「父親と息子とがな」「それで今は空き家や」と。「この古い建物は」とはと尋ねなかった。多分同じ持ち主のものだろう。戸口の奥に物が置いてあり、簡単には入れないようになっていた。
10分くらい経っただろうか、婆さんは「桜でも見に行くわ」と木の台を、やはり空気のように離れた。その後で足元を見ると、大きな干からびた足が落ちていた。足というか脚というか、サワガニの大きなハサミである。
この話しを知人にしたところ、その婆さんに「家に上がってお茶でもどう、バスが来るまで少し時間があることやし」と誘われなくて良かったねと、感想を漏らされた。それが夕方だったら、僕も同じように感じたかもしれない。
赤い婆さんが○○林業の戸を軽々と開け、中に入れと誘う。建物の中に大きなカマやナタがあり、婆さんがそれらを脇にやりながら、「後で片付けるからね」と言う。「何を片付けるのだろうか」。
昼過ぎの強い日差しの中、バスがやってきた。行きには誰も乗ってこなかった路線のバスに、先客が1人乗っていた。やはり難を逃れた登山者だろうか。

2022/04/14


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