川北英隆のブログ

ジャーナル編集委員長の退任

証券アナリストジャーナルの編集委員長を退任した。昨日が委員長としての最後の日だったのだが、最後にふさわしく仕事があった。「老兵は去るのみ」かなとも思っている。
協会に調べてもらったところ、1994年10月に証券アナリストジャーナルの編集委員に就任し、2014年11月から編集委員長を務めたとのこと。28年間と8年間である。サラリーマンとして勤めたのが29年間だから、編集委員としての期間はほぼそれに匹敵する。
1994年とは、日本の80年代後半に燃え盛ったバブルの余韻がまだ残っている頃だった。そういえばその年の9月に盟友O氏とキリマンジャロに登りに行った。O氏が言うには、「アホになり」そして一瞬にして白髪になった旅である。「まだ若い、でも下り坂がそこに見え始めた」、そんな時代だったか。
2014年とは、11年の東日本大震災で受けた大きな傷から、日本が立ち直ろうとしていた頃である。何年間かは立ち直ったようにも見えたのだが、現状はどうなのだろうか。円の激安が日本の老いを象徴しているかもしれない。まだまだ勝負をあきらめないで欲しいものなのだが。
と、他人事のような言い方をするのは、もはや1950年生まれの個人が出しゃばる場合ではないから。現実には多少の口出しはするだろうが、大きな石を動かすことは難しくなっているし、動かそうとすれば怪我をするし、迷惑をかける。
証券アナリストジャーナルもそうである。1950年生まれの者は早く身を引き、若者に引き継ぎ(といっても後任の編集委員長も決して若くないのだが)、若い力と知恵を発揮してもらいたいと思う。
逆に老人が考え、行動すればろくなことがない。というのも、老人にとって10年先はとんでもなく長い先なのだが(その頃にはこの世にいないかもしれないのだから)、そんな10年程度先のことを長期だと言えば、若者にはちゃんちゃら可笑しい。世の中を立て直すには、もっともっと先のことをイメージし、そこから逆算して「現時点でのあり方や方法など」を探ることが正しい。繰り返せば、10年程度先では今生まれた子供はまだ大人になっていないのだから、世の中のあり方を考えるには短かすぎる。
証券アナリストジャーナルも世の中(その1つの構成要素としての市場)を論じる雑誌である。老兵はやはり去らないといけない。できれば古い(老いたではない)政治家と一緒に去りたかったが、こればかりは無理だった。

2022/11/01


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