川北英隆のブログ

横山城址を越える

天津神社への参道を見ながら今荘の村を抜ける。天津神社は桜の並木道が美しいそうだ。
村を抜けて南西に歩くと、歩いてきた七尾山が大きい。姉川を今荘橋で渡ると、米原まで続く丘の連なりの北端に着く。この連なりは横尾丘陵(もしくは臥龍丘陵)と呼ばれている。
その北端をほんの少し西側に回り込むと、茶臼山古墳の小さな高まりがある。姉川の合戦の時、織田信長がこの付近で陣を張ったとか。
今回はこの茶臼山古墳をスタートに、横尾丘陵を横山まで歩くことにしていた。小さな川を渡り、獣避けを抜け、すぐの分岐を左手に登ると茶臼山古墳の頂上である。草が刈られ、七尾山、金糞岳、長浜方面の展望があった。三角点(147.8m、点名は茶臼山)もある。
分岐に戻り、尾根道を南に歩く。小さな古墳が続き、それぞれに名が付けられている。実のところ、古墳群は横山近くまで続いていた。
小さなアップダウンが続く。最初はクヌギ類の多い林の中で気持ちがいいのだが、やがて送電線に沿うようになり、草原が何度も登場し、深い箇所もある。送電塔を立てるために木が伐採されたためだろう。夏に歩く山ではない(当然)。
天神岩という神様が光に乗って降臨したという2つの岩を過ぎる。道は一旦登った後に大きく下り、峠に出る。笹が深い。234mの独標ピークの南側である。
峠から登り直し、左手に伊吹山を眺めるようになると横山が近い。一登りして横山山頂の横山城跡に着く。三角点(312.0m、点名は堀部)がある。
周囲には堀切や土塁がある。姉川の合戦によって横山城を奪った織田信長は、ここを羽柴秀吉に守らせた。
山頂にはベンチがあり、伊吹山、七尾山、金糞岳、琵琶湖方面が眺められる。展望を楽しみつつ休息した後、石田に下った。樹林の中の道で、ハイキングコースになっている。階段が多い。下り切ると日吉神社である。それに立ち寄った後、参拝用の長い石段を下り石田の村に出た。石田三成が生まれた地とかで、銅像もあった。
上の写真は茶臼山古墳である。右手から横尾丘陵の縦走路が始まる。下は横山の山頂である。左手に伊吹が写っている。
20221115茶臼山.jpg

20221115横山城址.jpg

2022/11/15


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