川北英隆のブログ

「人財」は罪人か

最近の気持ち悪い用語の1つに「人財」がある。「わが社では社員を大切にしているので、人材ではなく人財を使います」なんて類いの説明を時々聞く。実際、「人財」を使っている企業に出会うことが多くなった。
そんな人財に出会うと、最初は「そうかもね、国語として気持ち悪いけど、しゃあないか」と思っていたが、近頃では「漢字を知らへんのでは」と思うことが多くなった。要するに、流行だから人財と書き、そのうち漢字を知らずに人財と書くことが多くなったのではないか。
ネットで検索すると「人財」を積極的に説明するものが多い。少し読んでみると、本来の「人材」に否定的な意味を感じる者もいるとか。「アホやね」。
「材」は「木材」に代表されるように、原料の意味が込められている。何らかの価値を生み出す材料だろう。これに対して「財」は財産の財である。すでに出来上がった物との意味合いが強いようだ。
皮肉っぽく考えると、人材とは、企業としてまた社会として、磨き上げる対象である。これに対して人財はすでに磨き上げられた物であるから、今以上に伸びない可能性が高い。盗まれる対象ともなる。
企業として人財を盗まれないようにする必要がある。つまり人財が勝手に転職先を見つけないため、もしくはヘッドハンティングにあわないためである。とすれば、人財と呼ぶにふさわしい給与を支払うことが必要となる。
実際はどうなのか。世の中全体を見ていると、「人財」を使う企業が多いのに対し、給与を大して上げない企業がほとんどである。客観的に評価して(グローバルな基準で見て)、社員の価値がどの程度なのか把握していない企業も多いのではないか。
もしくは「人財」だと企業は思っているのに、人材の磨き方が悪かったため(いわゆるガラパゴス的な磨き方をしたため)、世間的には、「人財」ではなく「人罪」となってしまっているのかもしれない。なお「人罪」とは「お荷物」のことなそうな。
それはともかく、人財と称しながら安く使い、退職金などの手厚い後払い賃金の設定を続けることで(それも勤続年数が長くなると退職金が加速度的に増える制度を設け)転職に対するバリアとすることも続けられている。これでは、人財を育てたとしても、その宝を社畜的、罪人的に扱うことに等しい。
人材を育て、それを人財と呼ぶことを是とするとしても、まずは人財にふさわしい待遇が求められる。同時に、人財が引き抜かれたとしても、別の人財を引き抜いてくればいいとの発想に立たないといけない。
「海外留学させるとヘッドハンティングされやすくなるので、国内留学に留めている」との見解も聞く。「最低やな」と思う。人材に対して最高の磨き方をし、どこででも役立つ人財に育てるのが日本企業の社会に対する責務である。なのに「最高の磨き方をすると引き抜かれて損だ」なんて、最低の経営である。
まさに人材を罪人扱いしている。そんな企業が「人財」と書いているのなら、本当に気持ちが悪くなってしまう。企業として消え去ってほしいものだ。

2023/03/08


トップへ戻る