川北英隆のブログ

日本経済はどこで間違ったか

日本経済の地位低下がますます明瞭である。国内総生産(GDP)でドイツに追い抜かれるとの観測が現実化しつつある。いずれインドにも抜かれるらしい。当然、アメリカと中国の背中は遥かに遠くなった。トップ集団から脱落するマラソン選手を見ているようだ。
何回書いたように、日本がトップ集団に位置することを切望している僕としては悲しい。それを他人事のように語る政策担当者や企業経営者が情けない。自己責任で対処するしかないようだ。
今、一冊の本をまとめようとしている。一昨年に亡くなった池尾和人さんの足跡と日本経済の栄枯盛衰とを重ね合わせようとしている。
1980年代後半のバブルの時代から金融システム危機を経て、日本経済の長い凋落が始まった。バブル崩壊の後、10年で立ち直るはずの日本経済だったのに、30年経った今も立ち直れていない。
その根本的原因は勇気を持って叫び、行動した者が少なかったことにある。目先の保身と事なかれに徹した者が多すぎた。
バブルの頃、日本に人口減少時代が到来するのは明らかな予測だった。その時代に向けて本気で対応した企業はごく少数だった。生産力人口の減少(1995年がピーク)とバブル崩壊の重りが不運だったと言えばそれまでだが、生産力人口減少の経済的な意味を本気で考える企業や政策担当者が皆無に近かったのが本質だろう。
むしろ企業は1990年代中盤まで続いた円高に恐れ慄き、海外進出を怠った。バブル崩壊に縮こまり、グローバルな競争に打ち勝つための設備投資を遅らせた。後者に関して、バブルと崩壊の主因が不動産投資や財テクと称された株式投資にあったのに、精算設備の積極的な増強と刷新まで同類とみなしたのである。羹に懲りて膾を吹いたわけだ。
政策対応として、円高が望ましくないとの議論も的確でなかった。企業にとって望ましいことが、日本全体にとって本当に望ましいのかどうか(結論は望ましくないのだが)、判断を放棄したのである。
バブル崩壊と銀行の不良債権問題には、サラリーマン的に、事を大きくしたくないと考えて対応した。その結果、傷がますます深くなってしまった。むしろ早い段階で、勇気を持って抜本的に対応をすべきだった。そうすれば、瞬間的には大きな騒ぎになっただろうが、結果として傷は浅かったはずである。
このサラリーマン的対応は近年、ますます大手を振っている。多くの対応が責任逃れ的になり、過去を踏襲し、誰も新たな決断しようとしない。これが2008年のリーマンショック以降の日本において、とくに目立つ特徴ではなかろうか。だから経済マラソンで先頭集団から置き去りにされ、後続に抜かれようとしている。
本当に困ったことだ。僕の残りの人生、せいぜい10年そこらだろうが、それまでの間、日本の豊かさの余韻が残ることを祈っている。安い日本と京都を闊歩する大勢の外国人を観察しつつ。

2023/04/19


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