川北英隆のブログ

芸術としての庭園と株式投資

昨日、東京からの来客があり、庭園の勉強をした。その一環として、2018年に(僕からではないが)講演をお願いした植彌(うえや)加藤造園の社長、加藤友規氏に、「庭師として今は何を考えているのか」話してもらった。
東京からの来客、最初に無鄰菴(京都市保有)を見学した。その足で僕と落ち合って非公開の某庭園を見つつ昼食の時間を楽しみ、その後、前回と同様、GCIアセットマネジメントの京都ラボを借りて植彌さんの講演を聞いた。
2018年の植彌さんの話は>2018/05/12のブログに書いた。昨日の話はそれを基軸としている。庭は「作庭四分、維持管理六分」とし、完成がない。庭師として庭は「管理」するものではなく「育成管理=フォスタリング」するとの話があった。ここまでは前回と同じだろう。
これに加え、庭について「伝統を創造する」「ハードとソフト(の融合)」「デザインは現場で」との表現があった。庭は庭師としての芸術ということだろう。このため、庭師が受け取る代金は時間給などの労賃ではない。庭園という付加価値のあるものを生み出した対価である。
しかも庭は変化していく。例えば木が成長する。枯れるかもしれない。そうでなくとも、庭には256通りの姿があるとする。すなわち、季節(春夏秋冬)、時間(朝昼夕夜)、天気(晴曇雨雪)によって庭の姿が異なり、これに花鳥風月(それが持つ文化的背景)が加わるから、この4つの要素だけで256通り(4通りの4乗)の姿があると、前回に説明を受けた。
以上を踏まえ、庭は永続的に進化していくとのことだった。一方、このような庭について熟知した庭師は絶滅危惧種になってきているとの思いも語られた。一人でも多くの庭師を育てるために、植彌さんは今回のような講演というか庭を語る活動もされている。
ふと思ったのは、企業に対する長期投資家の活動も庭師に似ていると。企業は成長する。景気動向によって変化する。日々ニュースが発せられ、株価が変化し、短期投資家が企業にちょっかいを出し(害虫みたいかな)、時々刻々と株価が変化していく。長期投資家はそんな企業に話しかけ、応答をもらい、請われればアドバイスをする。結果として得られる企業業績という成果の一部を楽しむ。
庭師の生きがいは、朝な夕なのふとした瞬間の庭の姿だという。とくに借景の場合はそうらしい。これもまた、夕日が海や山に沈むのを見つつ、ワイン片手に、投資した企業の株価にふと目をやる投資家の感覚に似ているかもしれない。「そんなええもんかいな」との声が聞こえて来そうだが、理想はそうだろう。

2023/09/28


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