川北英隆のブログ

どこまで全員一等賞なのか

先日、某有名私立大学の教員からの情報には、笑うと同時に、情けなさを感じた。「日本は極端から極端へ振れる国、今や特攻隊の国が変じて全員一等賞の国になったんや」と。
その某大学教員は、講義中に学生に質問する形式を採用しているらしい。質問を連発する前に、「当てて欲しくない人は挙手を」と言うと、何人か手を挙げたとか。
十分に状況を把握していないのだが、どうも某有名私立大学では「当てて欲しくない学生」が顕在化していて、つまり「当てないで欲しい」と教員に主張していて、その「当てて欲しくない学生」をどうするのかを教員間で議論したのではと感じた。
もちろん学生側としては「当てて欲しくない」と思うことが多い。当てられる可能性があれば、その瞬間に必死で考えないといけないから。とはいえ必死に考えるから理解が深まる。社会に出れば、必死で考えないといけない瞬間にいくらでも遭遇する。
今や「当てて欲しくない学生」に対して講義中に質問すれば、「ハラスメントではないのか、アカデミックハラスメント、アカハラだ」と訴えられるのだろうか。もしもそうだとすれば、たとえば「15回の講義回数のうち3回欠席したら、この講義の成績は不可やで」と講義中に宣言すれば、「肉体的苦痛を伴う出席を強要したからアカハラだ」となりかねない。つまり学生いじめだと宣言されてしまうのか。
先日、新幹線での出来事も書いておこう。3人席の窓側に座っていると、3人連れの親子が乗ってきて、それぞれ2人席の通路側、3人席の通路側と中央に、つまり通路を挟んで3人が並んで座った。3人席の中央すなわち僕の横は小学校低学年だと思える子供だった。
その子供が座席の前のテーブルを使い、その上に子供用の小さなバッグを縦に置きながらタブレットで絵描きをしていたところ、縦置きのバッグは不安定だから車両の揺れで下に落ち、僕の足に当たった。僕は半分眠りに落ちていたものだから、少し声を出した。
子供は僕の声に反応して、バッグを自分の席の横に置いたのだが、しばらくしてテーブルの上の縦置きに戻したらしく、再び僕の足に落ちてきた。さすがに「そんな置き方をしたらアカン、また落ちるで」と子供に注意したのだが、子供は無言、その隣(少し年長の子供?)も無言、通路を挟んで座っていた親はニッコリした表情で子供の方をちらっと見たが、やはり無言だった。その瞬間にふと思ったのは、子供に注意するのもハラスメントになるのだろうかと。
学校でも企業でも社会でも、強制的に発言を求めることや注意することは禁止なのだろうか。教員は学生に仕え、企業の課長や係長は新入社員に仕える。今風に表現するのなら「寄り添う」のが役割なのだろうか。だから学校では全員に一等賞を与え、企業は勤務年数を努力の証だとして年功序列を守り、証券取引所では上場企業の地位を余程のことがないかぎり剥奪しようとしない。
でも現実を見なければならない。自然はヒトに寄り添ってばかりではなく、猛威を振るう。日本の社会はともかく、海外企業は「隙あらば」が日常である。「寄り添う」が流行っている日本の中でも、脅しや詐欺、もしくは詐欺まがいの行動が跋扈している。
そんな中、何でもかんでもハラスメントだと片付ける社会、逆にハラスメントだと訴えられることを避けようと自己保身に走る社会とは何なのか。物事の裏面を見たくない、見せたくないだけのことだろう。
かつての日本は特攻隊精神が讃えられた。特攻隊こそハラスメントの権化だろう。というかハラスメントが超越的に成長し、昇華した魔王である。それから80年少し経った現在の日本、すべてをハラスメントの一言で片付けようとしている。よくここまで矮小化したものだと思う。
不思議な国、社会や若者や企業や家族にとって何が正しいのか、正しくないのかを、自分の頭で考えない国である。

2023/12/10


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