川北英隆のブログ

ビットコインは狸村のお札

24日の日経新聞、Opinionのコーナーには「ビットコインは『金』か」と題した仮想対談の記事が掲載された。3人が登場し、その1人が僕だった。仮想通貨の専門家でもないのに、どうして僕だったのか。
多分、ビットコインに反対する者が少ないからだろう。僕が仮想通貨を知ったのは2017年だった。その頃のブログにビットコインが登場するから。当時のビットコインの価格はうろ覚えながら、1ビットが3万円程度だったか、もしくはもっと安かったかもしれない。
知った当時、試しに買おうかなと思い、業者と買い方を調べたことがあった。すると業者がしょぼくて信頼できないなと感じた。実際、事件も散発的に生じていた。
だから買わなかったのだが、もしも買っていたのなら、今は1ビットが10万ドル=1500万円の時代である。つまり、たちまちの億万長者だったことになる。見方を変えると、多くのビットコイン関係者は大なり小なり恩恵を受けている。
そんな億万長者への恨みもあり、ビットコインを好きになれないのかもしれない。とはいえ、ブロックチェーンというプログラムによって生み出された通貨的なものの1つがビットコインであり、それ以下でも以上でもない。
紙に印刷されたものが円やドルの紙幣であるから、「ビットコインのようにプログラムで書いても紙幣とどこが違うねん」というわけだろうが、決定的な差がある。紙幣には価値に関する法的な根拠(たとえば1万円札には1万円という価値があり、それ受け取ったものは1万円相当の物と交換しなければならないという法律に基づく根拠)が与えられている。一方のビットコインには法的な根拠がない。狸村ならぬビットコイン村で取引され、通用し、重宝されるだけである。
そんなことを日経新聞の記者に喋り、それが記事になった。言いたかったことが上手くまとめられている。
もちろん日本銀行をはじめとする中央銀行がデジタル通貨を発行する時代がやってくるかもしれない。実際、中国はデジタル通貨(デジタル元)を発行しているらしい。しかし繰り返せば、デジタル元は紙幣としての元の価値と連動している。1デジタル元は紙幣の1元と等価である。ビットコインのような狸村の札ではない。
裏を返せば、デジタル元は元の世界での、また将来のデジタル円は円の世界での売買の対象とはならない。つまり値動きはない。もとろんデジタル元とデジタル円の間では売買されるだろうが、これは為替取引そのものである。
だからデジタル通貨そのものは投機の対象にならず、面白くない。だからか、今のデジタル元をもてはやす動きを聞いたことがない。
狸村のお札は狸村だけでもてはやされればいい。それを人間の世界で売買してはいけない。いずれどこかで「落ち葉」とわかってしまう。

2025/02/26


トップへ戻る