川北英隆のブログ

老人の生きがい

麻生さんが「高齢者は働くしか能がない」と言ったとか。高齢者とはどの年齢を指すのか定かではないが、では麻生説において、働こうにも働けなくなった高齢者、すなわち老人はどうなるのか。
もっとも、お金持ちのボンボンが何を言おうとも、どうでもいいことである。
それよりも、デノミ論者で、かつての間接的な上司で、著名な方が、高齢のために病院に入り、面会できない状態だと聞いた。今は昔、台風が近づいていた大雨の日に新橋のちょっとした小料理屋で飲ませてもらいながら、「デノミって意味がない」、「100円が1.00円になったら、'.'を書くだけ手間が増えてしまう」と意見申し上げたことは申し訳ないかぎりである。インドネシアのように1ドルが1万ルピアになったらデノミをやる値打ちがあるだろうが。
奈良の両親も「とりあえず」生きている。90歳代と80歳代だから、外に出歩くことも少なくなった。ましてや遠出することはめったにない。その父親が、長生きしたために親友がいなくなったと嘆いている。
戦争で中国とビルマに行き、何とか生きて帰ってきて、「戦友」と定期的に宴会をしていた。近くに住んでいた戦友とはかなり頻繁に飲んでいたと記憶している。
現在、誰も生きていないらしい。一人、お金持ちの医者が生きてはいるらしいのだが、電話をかけても取り次いでもらえない。電話に出られないのだろうと推察している。
遠くには出歩けないし、友達とも連絡できないので、「長生きしすぎた」と何回かもらしている。何のための長生きなのか。医療が進み、長生きが普通になった現在、生きるために必要なのは金銭だけではないことを意識したうえで、もう一度、高齢化社会の意味を考えるべきだろう。

2009/07/25


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