川北英隆のブログ

奈良町の理解

昨日、高校の同窓会の打ち合わせで奈良に行った。ついでなので、少し早く近鉄奈良駅に着き、市内を歩いた。6年間歩いた街だが、桜が満開で華やかであったり、変わっていなかったり。
奈良のメインの通りは三条通りと東向通りが交差する辺りである。奈良に来た帰りにいつも奈良漬を買う東向通りの山崎屋を横目で睨み、南都銀行本店の横を通り、三条通りを少し東に上がって猿沢池に出た。子供の頃、巨大な、今から考えると観光客からもらう大量の麩でメタボになった鯉に感動したものだ。そういえば、麩菓子はどうなったのだろうか。
池からすぐに興福寺の境内に通じる石段を上がり、南円堂から五重塔を回った(写真)。
実は鹿を見たかったのだが、角の生え換わりつつある雄が一頭いただけだった。やはり飛火野か東大寺に向かってもう少し足を踏み入れなければならないのだろうが、そこまでの時間はなかった。
そこで奈良町を歩き、集合場所である京終(きょうばて)付近まで歩くことにした。奈良町は世界文化遺産に指定されている。でも、何故それが世界遺産なのか、いまだに理解できていない。中学から高校までの6年間、国鉄奈良駅から学校のあった紀寺(きでら)まで片道30分近くを毎日歩いて往復した。バスに酔うから。歩く道はいろいろ変えていたので、時々、奈良町を通ったことがあった。迷路のような通りが続き、今でも夢に登場する。
実際のところ、寺が散在する古い一角だが、かといって完全に昔の街並みが残っているわけでもない。京都に転居してからも数回歩いたことがあるが、それでも世界遺産の理由がよく分からない。今回も違う通りを歩いてみたが、やはり理解できなかった。よく知った街であるだけに地図を見なかったせいかもしれない。次回は下調べをして出かけることにしたい。
ということでちょび調べてみると、奈良町の中心、元興寺が世界遺産であり、元々、元興寺の敷地であった奈良町は付け足しのようだ。これなら理解できそう。
_F9H0068興福寺五重塔2.JPG

2010/04/04


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