川北英隆のブログ

「国債の誤解」の誤解

あまり日経新聞の記事のことを書きたくないので思い止まっていたが、やはり書いておこう。6/9の「十字路」の「国債の発行と消化を巡る誤解」(五十嵐氏)の誤解である。
日経新聞の記者から教わることが多いので、できれば書きたくなかったが、菅政権を安心させてしまってはいけないので。
前半1/3と結論(何が書いてあったのかはここでは記さないので、是非とも日経新聞の購読を)は問題ない。中間部分が問題である。
第一に、「高齢化によって貯蓄フローが減る」との世間の議論(とりあえずそう呼んでおこう)が誤解だという件について。
誤解だとする理由を、「家計(個人)が国債を買えば、それだけ家計資産が増えるから、貯蓄フローが減るとはかぎらない」ことに求めている。しかし、この理由は的が外れている。世間の議論は、高齢化によって「所得と貯蓄のバランスが崩れる」ことから「高齢化によって貯蓄フローが減る」とこと議論しているわけで、そもそも「家計が国債を買える」つまり「国債の残高を増やせる」ことを疑問しているわけである。言い換えると、氏が反論の根拠としている「家計が国債を買えば・・・」が本当なのかどうかを議論しなければ意味がない。その他、この件はいろいろ疑問がある。
第二に、「国債残高と家計の純金融資産残高を比べることに特段の意味がない」、「だから、国債残高が家計の純金融資産残高を上回ったとしても国債価格が暴落するわけではない」との件について。
国債の全部を家計が直接、間接(銀行などを介して)保有しているわけではないから、国債残高が家計の純金融資産残高を上回ったから国債価格が暴落するとは断言できない。しかし、国債残高と家計の純金融資産残高の大小関係に「特段の意味がない」と言うのも極端すぎる。日本国の金融資産の源泉の大部分は家計であるから、「相当の意味がある」。つまり、日本の金融資産が実質的に国債だけになることが常識的に起こりうるのかどうか議論しなければ意味がない。
第三に、「国債の発行は後世への付け回しではない」という件について。
国債の償還がなされず、借換えるだけなので、付け回しにならないというのが氏の根拠である。そこで、まず、金利の支払いを忘れているのではと言いたい。金利の支払いで税収のほとんどが使われてしまえば、国が国として機能しなくなる。また、国債で得られた資金が政府のサービス提供やインフラ投資に用いられているわけだが、そこで形成された有形無形の資産は何十年か後には無価値になる。国債だけが残り、インフラを新たに整備しようとしたとき、その資金をどうするのかを考えて欲しいものである。さらに、「金利支払いだけのために国債の残高規模(対GDP比)が増大することが危機的だ」というのが世間の議論であり、氏の矛先にはズレがある。

2010/06/12


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