川北英隆のブログ

日本の教育のあり方

昨日の浅草での会合では日本を憂う話題が多かった。私自身、そんなに極端に憂いているわけではないし、仕方ない側面が多いと思う。悪くなっても、日本が砂漠化でもしないかぎり豊かな国だと思っている。それでもいくつかの論点がある。
1つは、現在の社会のトップ層には成功体験というか自負が強すぎると思う。それも、「自分たちが頑張ったから成功したのだ」という自己満足的なものである。この論点からすると、現在の日本が良くないのは、努力が足りないということになるのだろう。客観的に評価して、1980年代の終りまで、日本が大成功したのは、誰かが強いリーダーシップを発揮したからではない。敗戦後の初期条件が良く、また日本に人的、技術的蓄積があったから成功しただけである。つまり、誰かの努力では決してない。現在、日本を取り巻く環境が大きく変化しているのだから、成功体験を捨て、臨機応変に対応する必要がある。
もう1つは教育である。知的好奇心を高め、能力を高める必要性が高い。それには、競争しかない。教育課程でいくら平等な状態を確保しようとしたところで、社会に出れば必ず競争にさらされる。結果の平等は夢のまた夢だと思うのだが。で、教育だが、どの大学も一定程度の能力があれば入学させればいい。応募者の多い場合の選抜の方法は、地域性や面接やそれまでの学校での活動など、多面的に評価していいと思う。入学後は、どんどん落第させ、退学させればいい。そうすれば、とくに文系に顕著な、大学に入った後の4年間は遊びだという悪しき風習が消滅するだろう。また、大学の講義や授業料にもっともっと自由度を認めるべきである。画一的な教育では、悪しきに水準を合わせるのが関の山でしかない。

2010/10/01


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