川北英隆のブログ

冬のゴキブリの謎

冬のソナタなんていうのがあったが、昨日は冬のゴキブリと出会った。「晩秋の」かな。朝早く、東京に行くための支度をしていると、何やら動いた。見ると、茶色いのが、部屋に置いてある小物入れの縁にうずくまっている。久し振りのゴキブリだ。
昔々、前の実家(今の実家に移る前の家で、同じ郡山にあった)には土間があり、そこにカマドがあり、台所になっていた。天井の高い、電灯を点けても薄暗い場所だった。そういえば、その実家は中二階付きで、格好良く言うと町屋だった。土間の部分だけは中二階がなく直接屋根になっていた。台所の煙が抜けるようになっていたのだろう。明り取りのための天窓もあり、それが元来は煙突の代わりだったかも。江戸時代には郡山藩(柳沢藩)に属する庶民が住んでいたはずだ。戦災とは無縁だったから。
説明が長くなったが、そんな台所だからゴキブリの天国だった。普段からゴキブリと友達だった。親が「ゴキブリは汚い」と言うものだから、あまり好きな友達ではなかったが、別に見る分にはどうということはない。夏には時々、就寝前の静まった台所の電灯を点け、ゴキブリ退治をした。光にびっくりしたゴキブリが右往左往する。中には飛ぶのもいる。手にした蠅叩きをすばやく振り回し、何匹かやっつける。それが当時のレクリエーションであり、そのレクリエーションの友達がゴキブリだった。
それで昨日のゴキブリだが、中途物だった。でかいのと違い、誰が見ても大して怖くないだろう。それに冬のゴキブリは「またい」。マタイではない、関西で(奈良で)動きの鈍いことを「またい」と言う。反対語は「はしかい」である。広告の束を引っ張り出してきて(蠅叩きなんてものは今は不要なので、家にない)、それでゴキブリを叩きつぶした。
そのゴキブリはどこから来たのか。実家から送られてきた荷物に紛れ込んでいた可能性が高い。土間に住んでいたゴキブリが今の実家に一緒に移り、その子孫が敵討ちのために京都にやってきたのだろうか。それとも京都の家のすぐ近くにミシュラン2つ星の料理旅館があるから、そこで食事をしたかったのか。叩きつぶす前に質問すれば良かった。

2010/11/19


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